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職員会議で挙手や採決をさせないのは当たり前のようです。
JUGEMテーマ:日記・一般

既に新聞でも報じられていますが一昨日の木曜日、三鷹高校の土肥元校長先生の訴えに対する控訴審判決がありました。結果は再び全面敗訴でした。

以前のブログはこちら→http://blog.iwajilow.com/?eid=1064855

この裁判は「職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決禁止」という通知は違法である、こうした通知に対して異を唱えた土肥校長が再雇用されなかったことは不当であると訴えたものです。


職員会議の挙手・採決禁止 二審も「適法」元校長敗訴
2013年2月8日
東京新聞朝刊
 職員会議での挙手や採決を禁じた東京都教育委員会の二〇〇六年の通知は違法などとして、都立三鷹高元校長の土肥信雄さん(64)が都に約千八百五十万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(市村陽典裁判長)は七日、通知を適法とした一審判決を支持し、土肥さんの控訴を棄却した。土肥さんは上告する。

 市村裁判長は通知について、都教委が法令上認められた権限に基づき出したものだと指摘。「教育現場への不当な支配には当たらず、職員会議を主宰する校長の裁量権を全面的に奪うものではない」と判断した。

 土肥さん側は、通知に反対したことなどを理由に、定年退職後の非常勤教員の選考で採用されなかったのは不当だとも訴えたが、判決は「都教委が通知に関する言動を考慮して不合格としたことが違法とはいえず、裁量権を逸脱していない」と退けた。

判決後、傍聴していた方からはこんな声が漏れました。

「ひどいよ」

判決後、土肥校長はこう語っていました。

「地裁でああいう不当判決だったからこういうこともありうるだろうと思っていました。もう心に決めていたから上告します」

職員会議での教員の意向を聞くために挙手してもらうとか、採決をとることを禁止するということは、職員会議というのは会議ではなくて、校長から連絡だとか報告の場ということになります。

官僚にとってみれば、会議なんてどれも形だけのものです。ガス抜きに言いたいことだけ言わせて、官僚の書いたシナリオ通りに物事を決めていく。会議で物事を決めようなんて思っていない。だから会議で挙手したり、採決をとるなんてことは言語道断なんでしょう。もちろん裁判官も官僚の一味ですから、「え?会議で物事を決めるの?バカなんじゃない」とでも思ったのでしょう。自分たちが一番頭が良くてエライから、他人の意見なんて聞く必要はない。まして自分よりも立場の下の連中なんて馬鹿ばかり、と思っている。彼らは本気でこう思っているので僕もビックリします。

だけど、最初に結論ありきで物ごとを決めていった結果、福島原発事故が起こったわけです。もちろん裁判所もその一味です。次々と原発訴訟で住民側を敗訴に追い込んでいきました。どんなに危険性を指摘されようが全く聞く耳を持たなかった。まさに東京都の通達のようなことをずーっとやっていた。その上に呆れたことにこの裁判所の住人達はその責任も全く取ろうとしない。こういう方々に民主主義とはどういうものであるのか、理解させる事は非常に難しいのだなということが今回の判決でよくわかりました。

判決書きの職員は市村陽典 という人だそうです。


判決後、裁判所の正門前で支援者の方に土肥元校長が挨拶をされました。

「残念ながらまた不当判決でした。

三鷹高校時代の教員も証人も呼んで証人尋問も入ったのは何だったのだろうと事実はひとつなんです。それを認めない司法とは何なんでしょう。

司法権の独立は全くなくなったといってもいいと思います。

不当判決なら即上告と決めていました。

最後まで応援してくださることをお願いします。」


弁護士

「再び全面的な敗訴でした。まだ詳しく判決文を読んではいないのですが、いずれの論点においてもこちら側の主張は全面的に排斥されています。

これは東京都だけではなく、日本全国の教育にとっても悪影響を与えるのは間違いないと思います。上告審で戦っていきたいと思います」

昨日、土肥先生からメールがあり、「上告する」とありましたので、昨日上告されたのだと思います。

土肥先生の闘いはいよいよ最終ラウンドに向かいます。
最高裁判所というところが考える「民主主義」とは何なのか、興味深いところではあります。

土肥先生のHPに今回の件について詳しく書かれています。





7日 東京高裁前


土肥元校長

 

 

posted by iwajilow | 11:25 | 教育のこと | comments(4) | trackbacks(0) |
駆け込み退職
JUGEMテーマ:日記・一般


年度末で退職すると退職金が減るということで駆け込み退職が相次いだ件について
批判派と容認派で議論があります。批判する論というのは基本的に「我慢すべき」というモラルを振りかざします。自分のことじゃないのでなんとでも言えるこういう論調は僕は大嫌いです。容認する人は「教員だって生活がある」というのが主な意見のようです。

ただ僕はこれはどちらも本質ではないような気がしてなりません。

そもそも、2000万円以上もらえる人が数十万円減るというだけで駆け込み退職するか?

中途でやめた人間は皆に知られるわけです。例えば2200万円が2150万円になるからと言って、教え子や近所の人に後ろ指を指されるようなことをするか?それ以上に嫌な事があるから途中で辞めるのじゃないか?退職金はきっかけに過ぎないのじゃないのか?

そんな疑問を教員だった方にぶつけてみました。

その方は、こう答えてくれました。

「どんないやなことがあったとしても、どんな教師だって、30数年勤めていて自分を信頼してくれている生徒の顔が浮かばないはずがないですよ。2千数百万円のうちの数十万円なんてたいした問題じゃない。全員が全員じゃないかもしれませんが、これは人間を人間としてみない制度に対するささやかな抗議だと思いますよ。だって自分が矢面に立つわけじゃないですか」

まずは、当事者にあたりもしないでデータだけ見て自分の貧しい想像力とヤッカミで批判すること自体、人を人として見てないということのような気がします。


教職員らの早期退職 「県が悪い」と疑問の声多数 埼玉
産経新聞 2月2日(土)13時41分配信

 埼玉県職員や教職員の駆け込み退職を招いた退職手当引き下げ問題。1月22日の問題発覚以降、「聖職者としてのモラル不足」か、「制度上の問題」かで議論を呼んだ。結局、31日、県内で120人の教職員が早期退職を選んだが、後味の悪い結末に教育現場だけでなく、県民や識者からも疑問の声が上がっている。 
 この問題で、31日までに埼玉県に寄せられた県民からの意見は126件。「引き下げを早めた県が悪い。県の責任だ」「教員を悪者にした人気取りの政策だ」など108件が県を批判するもので、「無責任。使命感を持ってほしい」など教員批判は18件にとどまった。
 上田清司知事は記者会見で早期退職を選んだ教員に対し、「無責任のそしりは免れない」などと不快感を示し、時期設定についても「(4月1日にすれば)39億円余分にかかる」と強調。ただ、「(退職者数は)予想よりも3倍くらいは多かった」と自ら見通しの甘さを認めたともとれる発言もあった。
 県の対応については有識者からも批判の声があがる。学習院大学経済学部の脇坂明教授(人事管理)は「退職者が相次ぐのは合理的。企業であれば退職者の見通しを細かく見積もる。制度を変える際は影響を読む必要がある」と話す。
 県では、定年となる誕生日を迎えた時点で退職金の額が決まることも早期退職に拍車をかけたとみられる。東海大学政治経済学部の川崎一泰准教授(財政学)は「教員は年度末まで勤めないと満額受け取れないようにするべきだ」と指摘した。 
 教頭が1人退職した中学校長は、親の介護などの事情があると聞き、引き留めきれなかったという。「周囲の負担は増えるが支障はない。県のせいで現場は混乱する」と憤る。 
 ただ、教職員の退職金は世間一般より高めの設定。ある県幹部は「社会全体で給料が減っているのだから、教職員も減額を受け入れて然るべき」とため息をついた。前島富雄教育長は問題を総括し「ご心配をかけたが、該当校では後任も決まり、授業も支障なく行われる見通しが立った」とコメントした。



 

 

 

posted by iwajilow | 09:41 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |
「大阪の事件は決して許すことができません」…元校長先生からのメール
JUGEMテーマ:日記・一般

言論の自由を求めて都教委と裁判を闘っている三鷹高校の土肥元校長先生からメールを頂きました。

http://blog.iwajilow.com/?eid=1071405

大阪で起きた桜宮高校の体罰自殺についてでした。
先生は「教員になってから絶対に体罰だけは行わないと決めていた」
といいます。そして「今回の大阪の事件は決して許すことができません」と。

僕は小学校から中学校にかけて相当な体罰を受けてきました。
特に中学2年生の時には、始業式のその初日に殴られ1年間殴られっぱなしでした。
この時は始業前に教室で相撲を取っていたというのが殴られた理由でした。
それで初日から殴るか?

3年生の時には丸1時間、授業を中断して殴られ続けたこともあります。

http://blog.iwajilow.com/?eid=1071434

そういう小学生、中学生時代を過ごしていましたのでこういった先生がいるととても嬉しく思います。

先生から許可を得たのでその内容の全文を添付します。

「私は教員になってから絶対に体罰だけは行わないと決めていました。
その理由の一つは父親の酒乱による暴力の恐ろしさを、決して忘れることができなかったこと。
二つ目は、中学の時、理不尽な教師による体罰が許せなったことです。
この二つの理由だけでなく、戦争(暴力を認めたら戦争も認めざるを得ない)についても絶対に許されないがゆえに私は暴力絶対否定主義です。
(大学闘争の時も、全共闘の考え方(東大解体等)には共感しましたが、ヘルメットや角材という暴力は許せませんでした)
 
したがって今回大阪の事件は決して許すことが出来ません。私の体罰否定論を添付します。
この体罰否定論は、私がまだ一般教員の時書いたものです。
私は授業の初めに生徒たちに以下のことを宣言します。
私は暴力は絶対に認めない。したがって生徒の暴力も認めないし、教員の体罰(暴力)も認めない。
だから、もし教員による体罰があったら申し出なさい、と言ったら、「土肥先生、僕はI先生から体罰を受けました」と申し出た生徒がいたのです。
調べてみると確かに体罰にあたると思いました。その時書いたのがこの体罰否定論でした。
やはり相手を説得するにはそれなりの理論武装が必要と感じたからです。
その教師に私の体罰否定論を示して、「I先生、生徒に対する体罰はやめてください。
理由はこの体罰否定論に書いてある通りです。もし反論があって私の納得のいく反論なら私は体罰を認めます。
しかし反論できないのなら体罰は今後しないでください」と言ったら、その後反論もなく体罰もなくなったのです。
体罰は本人に対する人権侵害ですが、理由の(5)の言論の自由がなくなることも非常に恐ろしいのです。
三鷹高校の時も、職員会議で全教員にこの体罰否定論を配り、体罰をしないように指導していました。
 
今回の事件はとても痛ましい事件でしたが、これをきっかけとして体罰がなくなることを願っています」

さて先生は体罰否定論も添付してくださいました。

この論文の中で「体罰を否定する論拠」として10ほど論拠をあげています。
もっともだと感じることばかりです。
以下、ご紹介します。

1)不平等性
教師と生徒は明らかに権力関係でいえば上下関係であり、その上者である教師の体罰(暴力)により解決をはかるのは明らかに平等の理念に反する。しかも教師の暴力は許され生徒の暴力は許されないことも明らかに不平等である(高校に於いては退学が予想される)。一般社会においてすら罪をおかした者に対しても人権に対する配慮がなされており警察官の過剰な暴力は許されないのである。また体罰を行う教師は学校内で弱者である生徒に対し校則などに違反したという理由で暴力をふるうのであるが社会において自分より強者である人たちや権力者(例えば暴力団、校長など)が犯罪など許し難い行為を行っても暴力などを振るわない場合が多くこの点についても不平等である。

2)責任問題
教師が生徒に対して責任を持てる期間は長くて6年(小学生)、一般的に言えば担任を持つ1〜2年である。しかも体罰はほとんどの場合非常に感情的であり絶対に傷のつかないという認識のもとに体罰が行われている状況ではない。したがって体罰により後遺症が残ったり、あるいは死亡することも十分考えられるのである。その場合その生徒の一生を保障することすなわち責任を取ることは不可能である。となれば教育的指導といえども体罰は許されない。体罰を「愛のムチ」だという人がいるが愛のムチにより死亡した場合、本当に愛のムチと言えるのだろうか。生命より尊いものはあり得ない。教師より多大の責任を負っている親であろうと子供の命を奪う権利は決してないのである。

3)暴力肯定
教師の体罰を認めたならば全ての暴力を認めざるを得ない。なぜなら教師は体罰を正しい行為として行っているのであるが、例えば暴力団の暴力も彼らは正しい行為として行っているのである。また治安維持法下における警察の拷問も正しい行為として行われていたのであり体罰を認めたらこのような暴力も認めざるを得なくなるのである。その論理でいけば結局戦争も認めざるを得ない。なぜなら戦争当事国はそれぞれ自国が正しいと主張するはずである。

4)暴力の連鎖
教師による体罰を受けた生徒はあらゆる場合において自分が正しければ暴力をふるっても当然であるという論理に達するのである。すなわち暴力は必ず暴力を誘発せざるを得ない。生徒が荒れている学校はその前段で教師の体罰問題がある可能性が非常に強い。このことは家庭でも当てはまり、親から暴力を受けた子供は暴力的になる場合が多い。

5)言論の自由の剥奪
教師の体罰は単にその生徒に対する問題だけでなく周りの生徒に対する影響の方がもっと恐ろしいのである。周りの生徒にとって体罰を振るう教師に対して自由にものが言えなくなる場合が非常に多い。生徒がたとえ間違っていると思っていて、もし言った時に体罰を受けるのではないかという恐怖が結果的に基本的人権として最も重要な言論の自由を奪うのである。歴史的に診て、暴力の恐怖による言論の自由の抑圧は非常に多い。(治安維持法下における言論の弾圧もそうであろう)

6)弱い者いじめの構造
教師の体罰は弱い者いじめの構造を生む。体罰を行う教師に対しては従順な生徒が女性教師や弱い教師に対しては暴力的になる場合が非常に多いのである。また生徒の間でも弱い者に対して暴力をふるったり、イジメが行われたりするのである。暴力は常に弱いもの弱いものへと集中するのである。それは結局差別の構造なのである。男性の暴力によりどれほど多くの女性が虐げられ我慢したことか(性差別)。どれほど多くの人種や民族が暴力の支配により苦しめられたことか(人種差別、民族差別)。それは歴史が証明しているのである。

7)法的矛盾
体罰を認めたとするならば、法的矛盾が生じるであろう。つまり校則と法律の関係でいえば明らかに法律が上違法であり、校則を犯した生徒が体罰を受け一方法律を犯した教師は何ら問われないのは問題である。逆に体罰を行った教師に対して法律を犯したという理由で暴力を加えることの方が論理的には正当である(私はこの暴力も認めない)。

8)ファシズムへの道
教育は全ての教師が行う指導によりその目的が達せられるのである。体罰による指導は一部の教師による指導となり全体の指導は不可能である。体罰を行わない教師は生徒を抑えられない教師、指導できない教師として体罰教師から批判される。それはまさに弱肉強食の暴力の社会である。民主主義を教える教育の理念とは決してなじまないものである。私たちは教育現場で民主主義のルールを教えているはずである。民主主義は全ての問題を暴力でなくは話し合いで決定するシステムであり一部の人々の暴力による支配はファシズムの支配へとつながるのである。

9)民主的手続きの欠落
もし体罰が教育指導上必要というならば体罰を禁止している法律を改正するように運動すべきである。なぜなら私自身法律が常に正しいとは思わないし歴史的にみても治安維持法など、悪法も多数存在していたのである。それを行わずして体罰が先行するのは自ら論理的矛盾に何ら答えていないし、民主的な手続きを無視していると言わざるを得ない。

10)教師の専門性
教師は体罰以外にもさまざまな方法で生徒を説得できるはずである。又教師は専門職である以上、生徒を言葉で説得できるだけでの論理を持たなければならない。体罰は教師にとって最も楽な解決方法であり、明らかに生徒指導に対する研究不足である。体罰による押さえつけは教師として失格であると言わざるを得ない。多くの教師は体罰以外の方法で多くの苦労と時間をかけて生徒指導を行っていることを忘れないので欲しいのである。



posted by iwajilow | 11:30 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |
裁判所の思惑
JUGEMテーマ:日記・一般

世の中が右傾化していると言われます。この右傾化はいつから始まったのか?権力というのは知らず知らずの間に自分たちの力を強大化させ、そして自分たちの意に沿うリーダーが現れたときに爆発させるのだと思います。もしくは右傾化を徐々に浸透させ、自分たちの意に沿うリーダーが登場しやすい環境を整えるのかもしれません。そしてその際には一度自分たちを切らせるふりをするという戦術も使うのかもしれません。

昨日、東京都の再雇用拒否に対して異議を申し立てている裁判が東京地裁で開かれました。

事件自体は1995年度の教員再雇用。通常、全員合格するような再雇用試験で豊島区の中学校教師だった田畑和子さんが異例の不合格となったものです。

(これは原告側は組合活動を熱心にやっていたとか、平和教育に熱心だったということが影響しているといいますが、裁判所はそういった認定をしませんし、被告側も絶対言いません。憲法違反になりますから…)

傍聴していた方によるとこの裁判は「東京都による教員の再雇用拒否の最初の例」だそうで
この事件によって「教員のクビを簡単に切れるという流れを作った」そうです。すでに第3次訴訟で
最初の提訴からは16年も経っています。

1995年度、というとその採用試験は1994年度中に行われるはずです。このときの都知事は元内務官僚の鈴木俊一でした。このあと、青島氏を経て石原氏になっていくわけです。

青島氏は前評判は高かったもののその後、散々でした。最終的には役人の言いなりでした。そしてその後、登場したのが石原氏でした。

国政と驚くほど似ているような気がしてなりません。

さて裁判に戻ります。

裁判の過程では中学校の校長が再雇用拒否理由を捏造していたことが判明しました。しかし裁判所は「裁量権」として田端さん側が敗訴しました。2次訴訟は捏造した校長を訴えたもののこれも敗訴。このときの二審の判決理由がイカしています。
「権力の行使にあたる公務員がその職務に関してした行為に係るものというべきであって、個人が責任を負うべき行為には当たらない」とあったそうです。

つまり、「公務員は偽証してもいいのよ」って裁判所は言っているわけです。
だから検察官も警察官も法廷で偽証するわけですね。

これ、「公務員の偽証OK」ということであればそれでいいのですが
それを広くアナウンスしてほしいと思います。

アナウンスしないと裁判は公平に行われているとみんなが勘違いしてしまいますから…。

さて、現在行われているのはこの校長の「新規の虚偽」について訴えているそうですが
裁判所の真摯な対応に腰を抜かしそうになります。

この事件はようするに校長と田畑さんのどちらがうそをついているかということなのですが
この日は、田畑さんの主張の裏づけのために原告側は証人採用を強く求めました。

裁判官「ベストエビデンスという意味からもまずご本人からお話を伺いたいと思っています。証人についてはその話を伺ったあとで考えたいと」

弁護人「証人を調べてほしいんですけど…」

裁判官「いずれ判断しますが、現時点ではまず田畑さんで」

弁護人「1日でまとめてやってくださってもいいんですが…」

裁判官「それは裁判所で決めますから、まずは陳述書を出してください」

弁護人「田畑さんも長いこと裁判続けてきましたので、できる限り証人を調べてほしいんですけど…」

裁判官「書面で必要性とかあるのでしたら、出してください」

弁護人「ぜひ、なんとかお願いします」


口頭弁論終了後、弁護士の方が解説をしてくださりました。

「ベストエビデンスに絞りたいと言うのは一番いい証拠という意味でとりあえず田畑さん。
それから考える。これはいつものやりくちで、こうすると大体、採用しません。

まずは田畑さんの話を聞いてから、『本人が一番いい証拠』と言っていながら
『本人は自分で言っているだけだから信用できない』と言ったりするんですよ」

田畑さんご本人はこういっていました。
「今までこちら側の申請した証人はすべて却下でした。教え子も同僚もです。
はじめから私を負けさせるためにやっているんだと思いました」



posted by iwajilow | 08:19 | 教育のこと | comments(2) | trackbacks(0) |
子どもたちの作品を飾ってはいけません…武蔵村山の卒業式
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国力が落ちていくときは右傾化するといいますが
まさに今の日本がそういう状況なのだと思います。
官僚たちが自分たちのふがいなさ、見通しの甘さ、まぁ、失政を愛国心や忠誠心、伝統的教育などに置き換える事で 本質から眼をそらさせるにはうってつけの方策だと思っています。

そして何よりも「昔は良かった」的なノスタルジーにいとも簡単に乗っかる方も乗っかる方だと思っています。

昔の軍隊式の教育が良かったと思っているのは、暴力で制圧することしか能力のないアホちんでしょ。

すっごく頭が悪くても自分の言っていることが矛盾に満ちていても、大声を出したりこぶしを振り上げたり、あるいはただ家長だからという理由だけで正当化されていた人が昔はいたんですよ。そしてその栄光の時代を忘れることのできない、人が今もいるんです。

そういうわけのわからない人の圧倒的な支持を受けて以前の安倍内閣の時に教育基本法が帰られました。現在、その波が教育界を襲っているそうです。

昨日、明治大学で「子供の幸せにつながる教育とは?」というシンポジウムが開かれました。ここでは現場の方から、現在教育現場で怒っていることの報告がされました。

中でもたまげたのは武蔵村山市の中学校の話しでした。

武蔵村山市は持田浩志という方が教育長をされているそうですが、この方は以前、国立市の学校指導教育課長をされていたそうです。
この時に「国立二小事件」というのが起きたそうです。

国立二小事件…2000年3月、国立二小の卒業式の際、屋上に国旗が掲揚されたことについて数人の子供が校長に国旗を掲げたことについて質問した。このことが産経新聞で報道され、問題化した事件。国会で取り上げられたり、街宣車が押し寄せたり、大量の教師が処分されたりしたそうだ。持田氏というのはこの時の指導教育課長。武蔵村山市では「作る会」系の教科書を採択しているそうです。

卒業証書の授与式の実施についてという文書が昨年の11月に出され、そこにはすっごくきめ細やかに決められているそうです。

「子どもたちの作品を会場に飾ってはいけない。卒業証書を受け取る時に拍手をしてはいけない。卒業証書を受け取る時に子供が将来の夢を語ったり決意表明をしてはいけない」。

などなど細かく書かれているそうです。

こんな懇切丁寧に決められてしまっていては自主性なんて必要ないですよね。ロボットのような子供を育てようとしているのでしょうね。。。

公立よりも私立の方が人気があるというのは、決して勉強だけの問題ではないと思います。
僕もこんな公立校行きたくないっす。
posted by iwajilow | 21:17 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |
いわぢろうの校内暴力体験
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今日の新聞に大津のいじめ自殺に関連して興味深い記事が出ていました。

教諭に暴行、重傷負わす いじめ関与の生徒 大津・中2自殺
(産経新聞) 2012年08月10日 08時05分
 大津市の中2男子自殺問題で、男子をいじめていたとされる同級生の1人が今年5月、女性教諭に暴行し、重傷を負わせたにもかかわらず、学校と市教委は警察に報告していなかったことが9日、分かった。
 市教委関係者によると、5月下旬、同級生が学校体育館で暴れていたため、女性教諭が止めに入ったところ手を殴られて小指を剥離骨折し、約1カ月の重傷を負った。学校側は当日と6月上旬の2回、女性教諭や校長ら複数の教員が集まり協議したが、同級生が反省しているなどとして警察に報告しないことを決めたという。

僕はこの事件、現場取材をしていないので詳しいことはわかりません。
でも自分の体験からいうと、この学校では暴力やいじめなどが日常的に行われていたのではないかと思います。
そしてそれが日常的になりすぎていて、誰も気にとめていなかったのではないかと思うのです。

僕が小学生のときに、通っていた小学校で教師による児童への体罰が問題になりました。
これは僕と同級生のM君が担任の教師に体罰を加えられたという事件で小学校へは新聞記者やテレビクルーもやってきて大きく報道されました。

結局、M君がクラスを替わるということで決着がつきましたが
僕もこの教師に殴られたことはあります。
それは恐ろしかった。
僕はどちらかといえば小さいほうなのですが、
それがものすごい大きな大人に、胸倉をつかまれ
そのままつるし上げられて、往復ビンタを食らわされました。
僕だけではなく、たくさんの同級生が殴られていました。
でも、アンケート調査があったわけでもなく、
その教師が免職になったわけでもありません。

僕を含め殴られた生徒たちもみんな黙っていました。
そして、どちらかというと告発したM君とそのご両親に対する風当たりが
強くなっていったような気がします。
曰く「こんなことで、訴えて、自分の子供にも否があるだろうに」。

以来、M君に近寄るものはなくなり、M君はそのころはまだ珍しかった私立の中学校を受験してみんなとは違う道を進んでいきました。僕も卒業以来、M君には会っていません。

すごく印象的だったのは、あの当時卒業に際してみんな仲の良かった友達にサイン帳をまわして書いてもらっていたのですが、M君にはあまりサイン帳がまわっていなかった気がします。
僕はノーカンジなので、M君にも書いてもらいました。でもちょっと変わっていました。サイン帳は名前や住所のほかに「一言お願いします」という欄があり、みんな「また会おうね」とか「中学校に行ってもすれ違ったら声かけてね」とか、まぁ一応子供なりの建前を書きます。しかしM君の「一言」は大きな字で「特になし」と書かれていました。
たぶん、彼なりの主張だったのだと思います。

中学生のときは金八先生が始まり、町田市では教師が生徒を刺すという忠生中事件が起こるなど、校内暴力が吹き荒れていました。
僕の通っていた中学校は教師による体罰がものすごかった。

僕は生意気だと年中殴られていました。
中学2年のときの始業式の日から始業前に教室で相撲を取っていたと、担任に「腹に力を込めろ」と
みぞおちにパンチを入れられました。

中学校3年生のときは殴られない日はないというくらい殴られていました。
(念のために言っておきますが、僕が誰かに暴力を振るったとか、いじめていたとか、人のものを盗ったとか、カンニングをしたとか、そういうことは一切ありませんでした。一応、中学の3年間は必ずどの学年でも一期は学級委員に選ばれていたので、その年齢なりの正義感はあったと思います)

何の件で殴られたのか、もう覚えていませんが、一度授業の最初から最後まで授業を中断して
殴られていたことがあります。
これなんてただのリンチですよね。

そしてこれも何のきっかけでいわれたのかわかりませんが
「お前は、制服に反対しているんだろ。じゃあ、明日から私服で来い」と社会の強化担任に言われました。僕はなんで体育の時に、厚手の体操着を着ないといけないのだ、白いTシャツでもいいじゃないか、とかワンポイントくらい認めろ、とはいっていましたが別に制服に反対はしていませんでした。でもこうなったら売り言葉に買い言葉でした。でもずるい僕は、次の日に私服を持っていって、その社会の授業の始まる前に私服に着替えました。
このときも、めちゃくちゃ殴られました。

授業の終わった後たくさんの同級生が声をかけてきました。
「K(社会科教諭)さ、ひどいな、自分で私服で来いっていっていたくせにな」
「助けられなくてごめんよ、でもぜったいKのほうが悪いよな」

そして休み時間をはさんだ次の授業は中止となり「いわぢろうの私服問題について」緊急ホームルームが開かれました。
「皆さん、いわぢろう君が私服で授業を受けたことについてどう思うか発言してください」
受験を控えた中学3年生です。僕の味方なんて一人もいません。
「気持ちはわかるけどルールを守らないいわぢろう君がいけないと思う」
「行動力はあると思うけど使い方が間違っていると思う」
さっきのはなんだったんだよ、って思いましたが結局全員一致で僕が悪いことになり
社会科教諭の暴力は不問にされました。
僕にはこの時間、教師がこの事件について言い訳をしているとしか思えませんでした。

おそらく、僕はたとえば文化祭のときの話し合いなどで(僕は文化祭の実行委員でした)
教師が生徒の意見にまったく取り合わず自分たちのいいように決めていってしまうことに対して
「これでは生徒の文化祭でなくて、教師の文化祭ですよね、そう明示してください」とか年中、生意気なことを言っていたので反感を買っていたのだと思います。

しかし、何はともあれこういった暴力体質が生徒に伝播しないわけがありません。

あるとき、僕が友人4人と学校から帰る途中のことです。
「O(僕と歩いていた友人)いるかー、O!」と叫ぶやつらがいて
誰だ?と思って顔を上げると、1つ下の後輩たちが20人くらい並んでいました。

「なんだ?先輩に対して呼び捨てはないだろ!」
と、そばにいた後輩に「お前、先輩に対してその口の利き方はないだろ!」と
怒りにいきました。
すると、その隙に、僕の隣にいたO君は「なんだ、なんだ」とその20人くらいいた後輩たちに連れて行かれてしまいました。

「おおっと、ちょっと待てよーっ!」
その後輩たちはO君に向かって「お前、生意気なんだよ。ここで土下座しろ」と言い出しました。
「何言ってんだ?」というO君に向かって後輩の一人が運転するバイク(もちろん無免許)が突っ込んでいきました。それを合図にみんながO君に殴りかかりました。

木刀を持っている者もいます。

「ちょっとやばいから逃げよう!」
O君と僕らは走り出しました。
民家の垣根を越えて逃げていくと誰かが「警察だー」と叫びました。
その声で後輩たちは散っていきました。

O君は腹を押さえてうずくまっていました。
幸い大事には至りませんでしたが…。

この、あと2年生に対して3年生が仕返しをするという事件も起こります。
(ちなみに僕はそういう仕返しには一切、関係していません)

この事件もこの後、学校の知れるところとなります。
でも、一切表面に出ることはありませんでした。

そんなわけで、学校で表に出る事件というのはその裏側にものすごい数の事件が隠れているのではないかと思ってしまうわけです。

こういったこともあり、まったく自慢ではありませんが僕は通知表の生活態度欄の評価が10項目中8項目で×がついていました。友人の中で×がついている者は一人もいなく、よほど教師に嫌われていたんだろうなぁと思います。

そして進学相談の時には「公立の学校はあきらめてください」と言われたのでした。

親には本当に迷惑をかけました。。。

posted by iwajilow | 12:01 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |
新任女性教師の自殺
JUGEMテーマ:日記・一般
 

新任女性教師の自殺は過重な公務によるものと認めて欲しいと
ご両親が訴えていた裁判の控訴審で東京高裁は一審の判決を維持。
「自殺は公務災害によるもの」と認定しました。

判決の瞬間、法廷では拍手が起こりました。

法廷にいたお母さんは目を真っ赤にしていました。



磐田の小学教諭自殺:高裁、公務災害と認定 「現場に生かして」 原告、環境改善に期待 /静岡
毎日新聞 7月20日(金)10時55分
  「判決を学校現場の改善に役立てて」−−。磐田市の小学校教諭、木村百合子さん(当時24歳)の04年の自殺について東京高裁(三輪和雄裁判長)も19日、静岡地裁判決を支持し公務災害と認定したことを受け、原告の父憲二さん(62)、母和子さん(58)と弁護団は記者会見を開き「起きたことを真剣に受け止め、(自殺を防ぐために)どうすれば良かったか調べて今後に生かしてほしい」と訴えた。
  憲二さんや原告弁護団は昨年12月の1審判決後、県教育委員会に教職員の労働環境改善を申し入れるなどしてきた。自殺を公務災害と認めなかった地方公務員災害補償基金側は、「木村さんがうつ病を発症したとき学校が支援できる体制は整っていたが、木村さん自身が積極的に相談に来なかった」と主張していた。塩沢忠和弁護士は「苦しんでいる人が積極的に相談に来るだろうか。何とか救おうとする取り組みが今の教育現場に求められている」と述べた。
  県教委によると、県内の県立、市町立の学校で働き精神疾患で休職した教職員は、03年度の132人から11年度は198人と8年間で1・5倍に増えた。特に20代の教職員は14人から約2・6倍の37人と増え方が著しい。県教委は初任者研修の日数を減らして負担軽減を図ったり、採用3年後に講習を開く取り組みを始めた。「木村さんの事件だけでなく、若い教師の精神疾患は深刻になっている。何とか防ぎたい」と話している。
  判決によると、百合子さんは04年4月に新規採用され、トラブルが多発する4年生のクラス担任となり、うつ病を発症、自殺した。地裁、高裁ともに学校側の支援体制の不十分さを指摘した。
  この日の東京高裁判決について同基金訟務課は「判決をまだ見ていないのでコメントできない」と話した。【平塚雄太】
 



僕は、この事件以前取材したことがあるのですがこの女性教師が自殺をしたのは確か2学期が始まって間もない9月。明け方に車の中での焼身自殺です。
彼女の日記には「お前なんか、嫌いだ。お前なんか嫌いだ。お前なんか嫌いだ」と書かれたうえにボールペンでぐちゃぐちゃに線が引っ張られていたりしました。

クラスはほとんど学級崩壊に近い状態だったらしく、そういった中で上司に当たる教師も助けるどころか「問題ばかり起こしやがって」とか「アルバイトじゃないんだぞ」と言われて追い詰められていました。

それでも、「自殺したのはもともと弱かったから」とし、学校側の指導は適切だったとするのが被告側でした。

大津のいじめ自殺もそうですが、管理側はいつも責任逃れに終始します。管理というのは普段は全く仕事がありませんが、問題が起きた時に適切な対処をとれる方がなるべきと思っています。

でもどう見ても現状は「普段は全く仕事しない」し何か起こった時も全く「適切な対処ができない」。つまり無駄遣い以外の何物でもないと思います。

そして、自分が訴えられている裁判で負けたにも関わらず「判決を見てない」ってこと自体、もう終わっているんじゃないでしょうか。


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学校の隠蔽体質
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滋賀の中学2年生が自殺した事件で
学校の隠蔽が問題になっています。

いじめがあっても見て見ぬふりをする学校。
その背景には昨日、東京地裁で判決があったように
問題を隠し通せば司法も学校の対応を正当化するという司法の
行政追随が安心感を与えているのだと思います。

司法、行政が一体となって、組織を守るために人を殺していくわけです。
弱者は死んでもかまわないという国家の強烈な意思を感じます。

彼らは組織を守るためにはなんでもします。
僕もいじめの取材をしたことがありますが、学校は本当に隠します。

取材を進めていても「子供たちに悪影響を与えるから、受験を控えた子供たちが動揺するから
子供たちに取材をするな」と学校側はいいます。

子供たちや保護者には「取材には答えないように」とお触れが出ます。
自殺の原因をきちんと究明しようなどという姿勢は皆無です。

組織を守ることが、何よりも優先されます。
さて、この根っこには何があるのか?

学校から言論の自由が消えてしまったこともその一因だと僕は考えています。
なぜ、言論の自由が消えたのか?
それはロボットを作り出そうとする国家の強烈な意思だと思います。

先週土曜日に
「都立三鷹高校で何が起きたのか」という三鷹高校の元校長だった土肥信雄さんの講演がありました。

土肥さんは都教委が出した「職員会議で教職員の意向を聞く挙手、採決禁止」という通達はおかしいと抗議をした方です。その抗議に対して都教委は土肥さんの定年退職後の非常勤講師試験を不合格にするという措置で対抗しました。

この試験は60歳の定年退職から65歳の年金支給開始までのつなぎとして設けられている制度です。過去に懲戒処分などがなければほとんどが合格するという試験です。土肥さんは離任式で卒業生から「卒業証書」をもらうほど、子供たちに慕われた校長でした。


生徒からの卒業証書を紹介する土肥元校長

しかし、この年の非常勤講師の採用試験では790人中、790位。つまり最下位不合格でした。その所見にはこう書かれています。
「担当行身の意義や上司の指示を理解し適切な判断に基づき職務を遂行する能力に欠けている。また組織の一員としての立場をわきまえず、他者からの説明を理解しようとしないばかりか、組織への協力、協議の姿勢も見られない」

都教委に逆らったから採用しないということです。

土肥さんは「学校現場で、一番生徒のことを知っているのは担任の教師です。校長は日常的にせいと一人一人に接しているわけではありません。その教師を一番知っている教師たちの意向を聞く、挙手や採決まで禁止することは、校長の意向と違う意見を封殺するもので、学校から言論の自由がなくなる」といいます。

しかし、実態は校長が学校運営を決めていくものではないといいます。もっと教育現場の実態を知らない教育委員会が決めたことを校長が教員に伝達するだけです。

そしてこの根本に何があるのか?土肥さんの話は1998年にまでさかのぼりました。
1998年以前、職員会議は学校の最高議決機関でした。当時、教員と校長の対立はあまりなく問題になることはありませんでした。あるとすれば、式典での日の丸掲揚、国家斉唱での対立だったそうです。1998年に都は職員会議をそれまでの最高議決機関から補助機関化したそうです。つまり校長が最高の権限を持つようにしました。

この翌年1999年、国旗国家法が成立します。
すると2000年には国が学校教育法施行規則を改正し職員会議の規定を盛り込みました。

さらに2003年、卒業式などにおける国旗国家の職務命令が盛り込まれたあの10.23通達が出され2006年に「挙手、採決の禁止」の通知が出されます。

土肥さんはこれを「言論の自由の封殺」と言っているわけです。

さてこの訴えに対し今年1月、東京地裁は土肥さんの全面敗訴という判決を下しました。
教育委員会は安心してやりたい放題できます。

いじめ自殺の学校側の対応もこういった流れを酌んでいるのだと思います。
そもそもアンケートを公表しなかったのは市教委です。
その市教委の方針になんら異議を申し立てられなかった背景にはこういった事情があるのだと思います。

しかし、僕はだからといって、政治が介入していいとは思いません。
政治家はもっと、教育現場の実態を知らないと思うからです。

上から押さえつけるのではなく、下からの意見をボトムアップしていくことこそが
民主主義であり、民主的な教育だと思いますが、この日本ではすべてにおいて
官僚をはじめとする行政機関こそが「正しい」とされています。

でも、消費税増税、復興増税、復興予算未消化や原発事故、原発再稼動、電気料金値上げなど一連の動きでこの人たちがいかにインチキかということに僕らも気がついてきました。

民主党が政権を取ったことで唯一よかったことは
官僚や政府の言っていることがいかにインチキかということが白日の元に晒されたことだと思います。

土肥さんの話はとても面白かったので、また後日改めてご紹介したいと思います。
 
posted by iwajilow | 09:57 | 教育のこと | comments(1) | trackbacks(0) |
今の教科書ってこんななんだ…
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日曜日に教科書を考えるシンポジウムが開かれ、今の教科書がどうなっているのかと思い、行ってみました。

中学生の国語と家庭科の教科書についての話しだったのですが、僕が興味をそそられたのは家庭科の教科書でした。

安倍内閣の下2006年に教育基本法が改定され、そのもとで作られた学習指導要領では「教科の道徳化」「伝統と文化の強調」という傾向が見られるそうです。

僕の時代の家庭科っていうのは調理実習だったり裁縫だったり、なんかそういう実践的なことを教えてもらっていたような記憶があるのですが、もう全く違うんですね。

伝統と文化を大切にするということなのでしょう、全国各地の郷土料理を各都道府県分47種類写真つきで紹介するページや、なぜか全国のうどんを紹介するページもあります。まるでガイドブックのようです。また浴衣の着方、十二単のコーディネート、風呂敷の模様、日本の伝統芸能、などなど「日本はすばらしい」をアピールするページが山ほどあります。

講師の方はこういっていました。
「私たちは伝統や文化を軽視するわけではありませんし、伝統の中から民衆の生活の知恵などを学ぶことが必要と考えています。しかし授業時間数が足りなくて扱いきれません(中学3年生では2週間で1時間だそうです)。生活にゆとりのない中で伝統・文化を押し付ける教科書で知らず知らずにわが国と郷土を愛するこことを育てるという狙いが透けて見えてきます」

僕も、ちょっとここまで日本を宣伝しなくてもいいんじゃないかと思いました。

またもうひとつの特徴とし
「個・自立の強調」という傾向もあげられていました。

講師の方は背景に「国が福祉に金をかけず、家族や地域社会の助け合い、序所努力で福祉の肩代わりをさせる動きがあるのではないか」と指摘していました。

笑ってしまったのは教科書に載ったイラストのクイズ。

食事のときに食卓で本を読んでいる女の子が描かれています。
そのあと、お母さんに注意される様子があります。
そして問題です。「このあと、女の子はどうするのが良いでしょう?」
中学生のころの僕なら、本を放り投げて「うるせーよ」と言ってプイッと部屋に戻ってしまうと思います。正解は言わずもながでみんな理屈の上では分かっていると思います。

が、反抗期だったり、自立しようとしてもがいている多感な時期にこんな説教くさいこと授業でやっているとただバカにされるだけのような気がします。

また「家族関係をよくしていこう」とか「そのために自分が何ができるか考えてみる」とか、あるけれども、その中には家庭経済のことが全く出てこなかったりするそうです。

家庭生活はまずお金があって成り立つものだし、中学生の力で冷え切った夫婦関係がよくなるとか、お父さんのDVがなくなるとか、こういうのを中学生の自助努力で何とかさせようとするって全く非現実的な教育ではないでしょうか。何とかなるわけがないし、それを信じて頑張ってなんともならなかったらその子はすごく落ち込んじゃうんじゃないでしょうか。

こう考えてみると、三権分立から家庭生活まで、日本の教育はウソと建前しか教えてないなっていう気がします。 何も現実的ではない。でもその現実的ではない勉強が良くできる子が官僚になったりしていくわけですね。。。


カラフルな教科書
posted by iwajilow | 00:29 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |
「3回君が代斉唱の時に起立しなかったらクビ」には賛同できない
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「がんばろうニッポン!」という標語がどうもあやしく聞こえる今日この頃。電気を使うことは罪悪だみたいな空気もおかしい。まるで「欲しがりません、勝つまでは」みたいです。

こういう時には、思想的にも自由がなくなるような気がしています。そしてその最たる人が大阪府知事だと思っています。この人の言っている事って、教育基本法が最も警戒している「政治の教育への不当な支配」にあたるんじゃないでしょうか。

政治の教育関与や職員の免職明記 大阪維新の会が条例案2011年8月22日19時22分  

 大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」は22日、大阪府・市の9月議会に、教育行政への政治関与を明記した「教育基本条例案」と、職務命令違反をした職員や組織再編に伴う過剰となった職員を民間の解雇に相当する分限免職にできる「職員基本条例案」をそれぞれ提出すると発表した。

 維新の会は両議会で議論を重ね、来春までに2条例の成立をめざす。橋下氏は11月の大阪市長選に合わせて知事を辞職し、知事・市長のダブル選に持ち込む方針で、条例案を選挙の争点とする狙いもある。

 教育基本条例案は前文で、教育行政のなかで「政治が適切に役割を果たす」と明記。知事や市長が学校が実現すべき教育目標を設定し、教育委員が「目標を実現する責務を果たさない場合」は罷免(ひめん)できると定めた。また、校長に現場の責任者として幅広い裁量権や予算要求権を認め、教職員には「校長の職務命令、経営指針に服す」ことを義務づけた。

 両条例案は教職員の処分ルールも明文化。大阪府が6月に施行した君が代の起立斉唱義務化条例を念頭に、同じ職務命令に3回違反した教職員を分限免職にすると規定。低い人事評価が続く教職員の分限処分や過剰になった人員のリストラ規定も盛り込んだ。

asahi.comより

先日、リポートした学校の先生たちの集会での、大阪の方のお話です。

「橋下知事が登場して以降、組合に対してたとえば「日の丸君が代の交渉はやらな」「講師の雇用を継続するための交渉はしない」と今まで、20年近く作り上げてきた労使の一定のルールというのを完全に覆しました。その影響でたとえば昨年度の組合としての定期交渉も参加者の報告ということをめぐっていまだに対立をしていまだに昨年度の定期交渉が行われていない状態になります。

君が代強制条例に続いて処分条例、3回(君が代斉唱のとき)不起立したら免職にするいわゆるスリーアウト制を橋下は言ってきたわけですけど、これが評判が悪かった。橋下に対する批判がマスコミや府民の間で結構広がっていったという状況がありました。その中でこれではいくらなんでもダブル選挙の争点にはならないのではないかというふうに考えたのでしょう。公務員制度そのもの教育のあり方そのものを根本から見直していくというひっくり返そうという条例を出そうとしてきているわけです。

ひとつは教育基本条例。もうひとつが職員基本条例です。この二つの条例を大阪府議会、大阪市議会、堺市議会に提出してきているわけです。当然、大阪市議会、堺市議会では否決されるでしょうから、府議会で可決された市議会では否決されたということでダブル選挙の争点にしていこうという狙いが透けて見える。

この条例案には驚くべきことが書かれています。
たとえば高校が実現すべき目標を規則で決める。議会の同意を経て教育委員を罷免できる。これ大阪維新の会が過半数を占めていますから、橋下知事が罷免したいとすればすぐ罷免できます。大阪府教育委員会の中で橋下知事が任命した中で橋下に抵抗している教育委員が二人ほどいるんです。府教委がうまくやってないということになれば文科省に是正要求をする。是正要求が認められなければ知事が代わってやる。教育委員会制度の根本を揺るがすようなものです。

あるいは府立高校の校長は任期つき採用。3年連続で定員割れした高校は統廃合。そこにこそっと同一職務命令に対して3回違反した場合は直ちに免職とこれが君が代の不起立処分になっている。もうひとつ大事なのは職制や予算の減少で過員が生じたときは議会の承認を経て免職ができる。分限免職です、いわゆる整理解雇。

これは当然高校で定員割れして統廃合されるとその分定員割れしていきます。そうするとこれを口実にして抵抗する教職員を排除していくということが可能になるような条例案を出そうとしている。これをダブル選挙の争点にしようとしている。
これは教育のあり方、公務員制度のあり方そのものを根本からひっくり返すような橋下の挑戦ですね」
 

posted by iwajilow | 01:26 | 教育のこと | comments(0) | trackbacks(0) |