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TVディレクターがメディアでは伝えられないニュースの裏側を日々レポート。
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脱北者の方々のフリーマーケット
JUGEMテーマ:日記・一般

秋祭りの季節になってきました。
根津でも今日は根津神社例大祭というお祭りがありました。
このお祭りは何台もの神輿が出る事で有名だそうです。


根津神社

お囃子と「セイヤッ、セイヤッ」という掛け声に乗って何台もの神輿が担がれていく姿は
勇壮で心が躍ります。



さて、そういった中、根津にある脱北者を支援する「オッケントンムの会」という団体が
フリーマーケットを開いていました。

商品は靴や服や本といった感じの日用品でしたが韓国ののりまき「キンパ」もありました。
焼き肉が巻かれているのですが、結構酢飯にあうんですね。
野菜もたっぷりなので、しつこくなく、それでいてボリューム感があり、3つくらい食べると結構お腹が膨れます。


キンパ(500円)

僕は北へは行ったことがないのですが、中朝国境の延吉には行ったことがあります。
その話をしたら、「豆満江見ました?」と聞かれました。
「ええ、国境の町まで行ってきましたので見ました。中国の公安が見回りしてました」
「私は、豆満江を渡ってきました。もう3年くらい経ちます」
そう話してくれたのはまだ20代の女性でした。
どんな思いをして豆満江を渡ったのでしょう。

でも何よりも3年でとても流暢に日本語を話せることに驚きました。
そう言うと
「みんな必死に勉強するんですよ」とのことでした。

僕はかれこれ5年くらいハングルを勉強していますが、
未だに片言ですら話せません。恥ずかしい…。


フリーマーケット



 
posted by iwajilow | 22:02 | 日本のマイノリティー | comments(1) | trackbacks(0) |
差別の国
 JUGEMテーマ:日記・一般

橋下という方は夢を語るのはなく
憎悪をあおる方なのですが、そういう方が人気がある
というのが不思議でなりません。

刺青にしろ、口パクにしろ
それが一大事とはとても思えません。
ただそれにより、命令に従わない人間を糾弾して追い詰めることで
共感を得る手法です。

そして、その手法をビジョンを示すことのできない
政治屋たちが使い始めました。

例えば、生活保護です。
人の一番汚い感情であるねたみ、そねみ、などを利用して
自分より少しでも優遇されている人間は許さないと
差別されているもの同士が憎みあう状況を作りだしている。

そして朝鮮人学校への高校無償化、適用除外なども
差別以外の何物でもありません。

自分たちが不幸だから、
自分たちよりも弱いものが優遇されるのは
絶対、許さない。

根底には差別の意識があるのに
なんだかんだと言い繕って、差別であることを認めない。

もちろん、弱いものいじめの本家本元の大阪では
朝鮮人学校への補助金は支給を停止しています。

さて、昨日枝川朝鮮学校で
「在日外国人の教育を受ける権利の今」というシンポジウムが行われました。

このシンポジウムでは
日本のこの朝鮮学校に対する高校無償化適用除外や現在、東京、大阪、宮城、埼玉、千葉で行われている補助金の停止や削減が国際人権基準に抵触していると指摘がなされました。

そして国連の人種差別撤廃委員会や子どもの権利委員会、移住者の人権特別報告者などからも勧告を受けていることが報告されました。

パネラーの大阪女学院大学の元百合子さんによると
こういった「教育への権利」は国際的には「起訴的で重要な権利と位置付けられている」そうです。それは「他の人権を実現するうえで不可欠であり回復が困難を及ぼす可能性が高い」からだそうです。

地域内の同じ学校で助成に差別があるのはおかしな状況で、特定校に対し適用を除外するのは国際法に適応せず、「いかなる差別もなしに実現する」というのが確立した国際基準。もちろん外国人差別も禁止とされています。

日本の場合は、権利の性質によって外国人には保障しなくてよい。政府では国民優先主義が今も支配な状態が続いているといいます。

学習権というのは実質的に平等を保障しなければならず、これは「子どもの権利条約」にも規定されているそうです。子どもたちが母国の言語や歴史を学ぶことなどの多様性に応じないで無視したり軽視し、均一の教育を押し付けることは平等を保障することにはならないといいます。

もし日本人が強制連行や何かで外国、たとえばシベリアでもアメリカでもいいですが、その際に、日本の人たちは子どもに日本語や日本の文化を継承しようと思うでしょう。それをアメリカにいるのだから、シベリアにいるのだから現地の言葉以外は使ってはならない。現地に同化せよ、というのはちょっと違うと思います。

外国人の方も同じ思いでいるわけで、そういった教育の機会を保障しようというのが基本的な精神だと思います。しかし日本の場合は「日本にいるんだから日本語を使え」と言っているわけです。もし、国際基準や条約に従えないというのであれば、子どもの権利条約などからは脱退すべきだと僕は思います。

脱退する勇気もないのに、二枚舌を使って権利は保障しているとウソをついているのはどうかと思います。

パネラーの師岡康子弁護士がこんな話をされました。
2007年か2008年に国連人権規約委員会が日本政府に質問したことがあるそうです。

「『在日朝鮮人そのほかのマイノリティにへの教育を公式に認め、無差別を基礎として補助金を提供し修了者に対し大学受験資格を与えるようにすることを認めるためにどのような施策をとっていますか?』と聞いたところ政府は『多くの朝鮮学校に通う在日の朝鮮人たちは自らの文化について学べる機会を得ています。こういった学校は各種学校として認可を得ていて自治体から補助金を受けています』と答えました。

1965年に日本政府は文部省は『各種学校として認めるべきでない』と事務次官通達を出しました。しかし、国連に対しては日本の政府が政策としてこういった学校を認め、各自治体に対して補助金を出させるようなポーズをとっています。しかも現在この補助金も停止されたり、減額されたりしているわけです。今度、日本の政府は無償化除外に対して何と言うのでしょうか」

自らが在日2世だという枝川朝鮮学校の李花叔校長はあいさつの中でこう言っていました。
「私たちは植民地計画の結果としての3世、4世です。今私は日本の方に会うと9割以上の方がこう聞かれます。『李さんはいつ日本に来たんですか?』。それだけ歴史認識がなくなってしまったのかなと思います。

私たちは3世、4世が本名を隠さず、堂々と人生を歩ける人材を育成していきたいと思います」


枝川朝鮮学校

posted by iwajilow | 07:53 | 日本のマイノリティー | comments(0) | trackbacks(0) |
アイヌ料理教室
「アイヌ料理は何も捨てるところがないんです」

10月6日から11日まではアイヌ民族交流ウィークだそうで、先日アイヌ料理教室に行ってきました。

料理もさることながら川村カ子トアイヌ記念館館長の川村シンリツ エオリパック アイヌさんもいらしていて非常に興味深い話を聞けました。

「アイヌ料理は鮭や鹿を使った鍋料理が多い」とか「コメは和人の穀物なので食べない。アイヌの場合はアイヌアマムといってヒエ、ご飯というよりお粥が多い。一番食べるのは鹿、ユック=鹿で獲物という意味」

「クマも食べます。一番のごちそうは脳みそ、ほほ肉、べろ肉、前足の利き手。木の実などを利き手で取るので、利き手には木の実の匂いが付いているんです。クマは掌をしゃぶりながら冬眠するんです。1日煮詰めると皮がとれて、ゼラチン質となってすごくおいしい」

「山菜類も煮物にして食べます。団子料理も多い。今頃なら団子にイクラをまぶして食べます。筋子を干したものがおやつ代わりでした。すごくカロリーが高いので、山に行く時はその筋子を一切れ持っていきます。それだけで何日も生きられます」


川村シンリツ エオリパック アイヌさん



この日のメニューは冷汁(ヤマウ)、鹿肉ステーキ、豆ご飯、ジャガイモ団子、かぼちゃ団子でした。

冷汁は乾燥ダラをたたいてつぶしたたものと、昆布でだしをとります。



具はわかめとネギときゅうりでしたが、ものすごくさっぱりしていておいしい。一年中食べる料理だそうです。


冷汁

ご飯にはヒエが入っていました。アマム(ご飯)を作る時は仕上げにちょっとだけ脂を入れて、塩で味付けをするそうです。
脂は新鮮な鱈を乾燥させて、ストーブで煮て浮いてきた脂をすくうという気の長い作業で取るそうです。

この日のは金時豆を使ったそうです。


豆ご飯のおむすび


鹿肉ステーキ

昔は鹿肉を塩で煮たり、干したりしていたそうです。羊に近いような味でしたが思ったよりもクセもなく、柔らかかった。なんでも鹿肉は豚肉や牛肉に比べてカロリーが1/3で脂肪が1/15で美容と健康にとてもよいそうです。


手前がかぼちゃ団子、奥がジャガイモ団子

茹でたジャガイモやカボチャにつなぎの小麦粉を入れてたたいてつぶして、丸めて焼くだけです。おやきですね。パクパク食べられます。

いやぁ、美味しかった。。







posted by iwajilow | 07:12 | 日本のマイノリティー | comments(1) | trackbacks(0) |
ほぼ報道されない必死のハンスト
ビルマで軍政に軟禁されているアウン・サン・スー・チー女史が先月半ばからハンストに入っています。

そして日本でもこの8日から在日本のビルマ人の方々がスー・チーさんの直ちの釈放を求めて国連大学の前でハンストに入っている。

ビルマの少数民族の団体事務局長によると、「何組かのグループに分かれて72時間交代で続けていきたい」とのことでした。

「98年にも民主化運動があったが成功しなかった。2007年9月も弾圧された。ビルマの国内では自由にモノをいうことが出来ないが、今日本にいる少数民族は話すことが出来る。もっと国連などに訴えかけなければと思う。このまま2010年になってしまうと軍事政権が正式なビルマの政府になってしまう。私たちには余り時間がないんです」

「アウン・サン・スー・チーを直ちに釈放せよ、すべての政治犯を直ちに釈放せよ」というシュプレヒコールが叫ばれました。

事務局長は「(スー・チー女史は)もうハンストに入って3週間、身体的な状況も心配だけど精神状態も心配」と言ってました。

で、実は、この精神状況というのがかなり現地でも心配されているそうです。つまり長期にわたる軟禁で精神的にかなり参ってしまっているのではないか、色々な判断能力が失われているのではないか、ということも現地では言われていると、現地から最近帰国したジャーナリストの方にも聞きました。

先月もビルマを訪れていた国連事務総長特別顧問のガンバリ氏との面会も拒否し、今回のハンストも明確な理由は伝えられていません。

ビルマのことなので何が真実かわかりませんが、何かしらの異変がスー・チーさんの近辺で起こっているの可能性は高いような気がします。


さてもうちょっとビルマ情報。
サイクロンの取材で内密にビルマに入っていたジャーナリストの方に聞いた話。

サイクロンでなぜあんな死者10万人とも20万人とも言われる被害が出たのか?
ラジオはあったそうで、サイクロンが来ているという情報はガンガン流れていたそうです。ただ、ラジオはいつも嘘ばかり放送しているので誰も信じなかった、そうです。

例えばその一例…
仮設住宅が出来てどんどん被災者が入居しています、という放送があったそうです。実際、彼がその現場にいってみるとほとんど誰も入居していない。なぜか?この仮設住宅は3年間限りですが、入居の際に600砲里金を取るそうです。ちなみにビルマの兵士の1ヶ月の給料は22法23法△世修Δ任后
さらにインフラは何も整備されていない。その仮設住宅に行く道路すらない。という状況は全部伏せて復興に向けて努力がされていると放送されるそうです。

またビルマでは救援物資はその1割しか届かないとのこと。あとの9割はどこへ行くのか?
すべて横流しされるそうです。被災者の家の向こう側には軍のキャンプがあり、その一角には幹部用のクラブがあり、そこで幹部たちは昼間から酒を飲みながら女をはべらせてカラオケに興じている、ということでした。

政府は何もしません。インフラ、被災者救援、すべて僧院が担っているそうです。実際、僧院には村の人たちが自分たちが日常食べないような貴重な食材なども寄付していくそうです。それは村の人たちがすべて自分たちに還元されるということを知っているからだということでした。


で、また日本はこの国に有償無償で数千億円の援助をしてきたの最大の援助国でもあるんですね。確かに天然ガスなどの資源に恵まれた国なので、資源外交は大事ではあると思うのですが、どうも合点がいかないですだ。

軍政を間接、直接に支えているのは誰だ?ってことですね。。。

以下、国連大学前の様子です。。

















posted by iwajilow | 20:30 | 日本のマイノリティー | comments(0) | trackbacks(0) |
ずっと16年間戦いでした…クルド人・ムスタファさんに在留特別許可
「ずっと16年間戦いでした。長かった」

19日月曜日の午前11時過ぎ、入国管理局で難民申請を出し続けていたクルド人のムスタファさん一家に在留特別許可が出ました。

「やったー」という歓声とともに出てきた奥さんは目が潤んでいるようでした。

僕は奥さんとは面識があったのですが、ムスタファさんとお会いしたのは初めてでした。以前クルドに行った関係もあり、ムスタファさんを支援している友人のアムさんが声をかけてくれ、僕も入国管理局へ同行しました。

ムスタファさんはトルコに住んでいたクルド人。トルコではクルド民族なんて民族はいないという政策が取られており、クルド民族に対してはクルド語を使わせないなど、徹底した迫害が行われています。

彼は90年のクルド民族のお祭り「ネブロース」のときにクルド人政治指導者の名前を叫んだために逮捕され全身に電気ショックを浴びせられ、目隠しをされ袋叩きにされたと言います。

4週間後釈放されたそうですが、その後も迫害は続き、93年単身来日しました。その後96年難民申請をするものの却下、しかし、強制送還されれば命に関わります。ムスタファさんはその後も難民申請をし続けます。

98年にフィリピン人のエバンジュリさんと知り合い結婚、2人の子どもが生まれました。

そして今日まで、仮放免という非常に微妙な立場で日本で暮らし続けていました。

「ホッとしました」

ムスタファさんはこれで1年間は落ち着いて暮らすことができ、その後は延長していくという手続きになるそうです。

弁護士の先生は「これで仕事に関しても色々とできるようになるでしょう」
と言っていました。

今までは知人を頼って仕事をするほかなかったそうです。

ご家族の本当に嬉しそうな笑顔が印象的でした。


ムスタファさん一家

以前訪れたクルドの様子はこちらの[ふむふむ写真集]からどうぞ
posted by iwajilow | 01:38 | 日本のマイノリティー | comments(0) | trackbacks(0) |
「このままでは民族が滅びる…」中国の弾圧に苦しむ内モンゴル
僕は恥ずかしながらほとんど知らなかったのですが、中国の内モンゴルという地域もチベットやウィグルのように中国からの弾圧に苦しみ独立を目指しているそうです。

今日、その内モンゴル人民党主席のテム・チルト氏が都内で集会を持ちました。


テム・チルト内モンゴル人民党主席

モンゴルはそもそも大モンゴル帝国だったそうですが、17世紀に清朝が征服。ある程度の自治を認められては来ていたそうです。それが清朝末期から自治を大幅に取り上げられ、漢民族の大量移民などが始まりました。
1939年、関東軍の援助で蒙古連合自治政府が誕生したものの敗戦、1947年に中国共産党の下で内モンゴル自治区となりました。

このときのことを主席はこ言っていました。
「第2次世界大戦の終了は中国は抗日戦争の勝利というがモンゴル人にとっては少し違う。内モンゴルにとってはもう1回の歴史的な犠牲だ」

そして内モンゴルは独立を夢見るものの、文化大革命では250万人のモンゴル人のうち50万人が逮捕、6万人が処刑され内モンゴル人民革命党はほぼ全員虐殺され、壊滅。

今でも中国国内では、モンゴルについて公式な研究はしてはいけないそうです。

漢民族の同化政策により、内モンゴル自治区は人口2400万人ほどなのですが、モンゴル人はわずか350万人ほどです
このままでは「民族が滅びる」とモンゴル人たちが97年にアメリカでモンゴル人民党を結成したそうです。

現在、海外でもっともモンゴル人が多く暮らしているのが実は日本で、その数は5000人ほどだそうです。なので、日本の支援を求めての今回の集会だったようです。
(ちなみに主席はドイツに暮らしている)

主席は
「日本は近代史上アジアの民主化を援助してきました。第2次世界大戦中も日本の援助で事実上の独立した政府を作っていました。我々と日本は人種的親近感以外に地理的にも近く、従って我々は日本に本部を通じて協力を求めようと思っています。一方的な支持、援助と思われるかもしれないが、長い目で見るとお互いの利益になります。モンゴルはアジアで一番親日的です。もし内モンゴルにはたくさんの資源があります。今は中国がタダで奪っています。独立したら日本の技術と資源の交換をすることも可能です」
と話していました。

そこまで持ち上げてくれなくてもと思いましたけど…。

文化大革命でほとんど指導者を殺され、チベットのようにインドが援助してくれるわけでも、ウィグルのようにイスラム世界が援助してくれるわけでもなく、このままでは民族が滅びるという危機感がここまで言わせているのではとも思いました。

でも、地下資源がたくさん眠っているのであれば、中国は絶対手放さないだろうなぁ。。
posted by iwajilow | 23:11 | 日本のマイノリティー | comments(0) | trackbacks(0) |
「一切対応しません」…素敵な大田区の福祉行政
昨日、「外出禁止令をぶっとばせ」という集会がありました。
移動介護費の上限設定で外出がままらなくなった障がい者たちの
「外出させてくれ!」という切ない抗議です。


区役所前に集まった原告の鈴木さん、弁護士と応援する障がい者の皆さん

そもそもこの話は、大田区の鈴木啓治さんの移動介護費の大幅削減に端を発しています。

両手、両足に障害があり一人では外出できない鈴木啓治さんは以前、外出に伴う移動介護費を月に124時間分支給されていました。ところが03年7月に大田区がその介護費を「32時間まで」とする要綱を決め、大きく減らされたということなんですね。

この要綱が実施されたのは04年4月1日。
突然、その日を境に鈴木さんは1日1時間程度しか外に出られなくなったそうです。

鈴木さんは何の相談もお知らせもなく、突然移動介護を(つまり外出の手伝い)を打ち切られたそうです。

役所は健常者の一般区民は月に余暇のための外出が土日に各4時間ずつ
つまり週8時間の余暇活動を月4回と想定して32時間と算出したと説明したそうです。

集会で鈴木さんの弁護士の藤岡毅氏は
「っていうことは障害者は平日は外出するなってことになりますよね」
と話しておりました。

郵便局とか役所とか平日しか行けないところもたくさんあるのに…。

さてさて、実はこの問題は裁判になっていて、去年の11月29日に判決が確定しています。
判決は、「障害者自立支援法」の成立に伴い、今回の訴訟の根拠となっていた「身体障害者福祉法」がすでに廃止されていることから「請求棄却」とされました。しかしこの上限設定については「行政の裁量権を逸脱しており違法」と指摘しました。
つまり「上限32時間はダメ」ってことですね。

「上限設定はダメ」ってことなので、これは一人鈴木さんのケースではなく、こういった扱いを受けている人たちすべてに
当てはまるのだろうなぁと思うのですが、さすが大田区、要綱の文言を「上限32時間」から「標準32時間」に変えただけで、なーんにも改善しないそうです。

で、鈴木さんは「僕だけじゃなく、みんな救ってくれ」と言っているのですが、区は鈴木さんに対して「90時間くらいで手を打ちましょう」みたいなことは言うものの後は知らんぷりだそうです。

そこで昨日の集会になったそうです。

障がい者の皆さんと弁護士は区との話し合いを求めて
4月2日に担当部長あてに面会の要望を出したそうです。
ところが区からの回答は4月4日に「介護者を含めて5人以内、メディアの取材はなし、北センター(鈴木さんを担当する支所みたいなところ)でなら応じる」だったそうです。

「他の障がい者もこの判決により守られるべきだ」と考える鈴木さんたちと
どうしても鈴木さんのケースに限定したい大田区っていう図式なのかな。

で、「昨日行きますよ」と予告していたそうですが、
担当部長は「お休み」を取っていたそうです。
さらに担当課長は「会議中」で対応できません、だそうです。
で、「なんという会議なんですか?」と聞くと「言えません」という回答でした。秘密の会議なんですね。

そして、対応した方は「私の一存では何も答えられません」の一点張り。
埒が明かないので会議中の担当課長にメモを廻してもらったのですが、その回答は
「今回はもちろんのこと、今後も一切対応しません
とのことでした。

お役所の方々って本当に素敵ですね。


この集会で日本障害者協会常務理事の藤井さんがこう発言していました。
「障害は避けようがない、なりたくなったわけではありません。そして直りにくい。不可避性、不可逆性、普遍性、個人ではどうしようもない。だから社会のサポートが必要なのです」

どう受け取るのでしょうか。




集会にはたくさんの障がい者の皆さんが参加した

参考
障害者外出支援費訴訟:支援費激減は違法 「事情、考慮不十分」−−東京地裁

◇条文廃止で訴えは却下

障害者の外出を手助けする「支援費」に東京都大田区が一律の上限を設け、従来の4分の1に支給を減らしたのは違法として、同区の鈴木敬治さん(54)が支給水準を元に戻すよう区に求めた訴訟で、東京地裁(杉原則彦裁判長)は29日、区の処分を違法と認定した。しかし、4月の障害者自立支援法の施行で、処分の根拠となった身体障害者福祉法の条文が廃止されたことを理由に、鈴木さんの訴えを却下した。【高倉友彰】

鈴木さんの弁護団は「内容的には勝訴。障害者一人一人の事情を考慮すべきだというのが判決の考え。一律の上限を設ける傾向に一定の歯止めになるだろう」と話した。

判決によると、全身性身体障害者の鈴木さんは支援費制度が始まった03年4月、月124時間分の居宅介護支援費を認められた。3カ月後、区は原則月32時間以内とする一律の上限を設けた要綱を施行。鈴木さんは「市民団体活動などで必要」と従来通り月124時間分を申請したが、区は要綱を基に32時間分(後に42時間分)しか認めない支給決定をした。

判決は「従来124時間分を認め、同程度が必要だったはずなのに個別事情を十分考慮せず、要綱に従って支給を激減させた処分は裁量権の範囲を逸脱し違法」と結論付けた。

◇「いろんな所へ行きたい」と涙

「中身は勝訴だが形式は敗訴です」。判決後に会見した原告側の藤岡毅弁護士は無念そうに切り出した。ただし、判決が違法性を認定して「区は自立支援法の運用を適切に行うことが期待される」と付言した点は評価。弁護団の調べでは、大田区のように一律上限を設ける自治体は県庁所在地47市の約4割に上る。

鈴木さんは脳性まひのため車椅子生活で、話すのもやや不自由だが、健常者と共に走る共生マラソン事務局などの活動をしている。会見では「ここ(会見場)の段差とか(障害者の外出を阻む問題点を)確かめるのが僕の仕事。124時間に戻してもらいたい。いろんな所に行って、障害者と話をしたい。世界中に行きたい」と涙目で訴えた。



[毎日新聞 2006年11月30日]


posted by iwajilow | 13:12 | 日本のマイノリティー | comments(2) | trackbacks(1) |