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「日の・君」裁判…根津先生の思い
JUGEMテーマ:日記・一般


ストレステストの結果は予想通りでした。

この結果は原則40年で廃炉を例外的に20年延長を認めるという政府の方針の正体も想像がつきまます。おそらく原則60年、例外的に40年で廃炉ということです。

裁判の世界でも、調書と公判での証言が違った場合、原則的に公判の証言の信用性が優先されますが、例外的に調書の信用性を認めることになっています。しかし現実はどうでしょう。
公判の証言よりも調書の信用性を高いと認める場合がほとんどです。
つまり、国家機関に有利なほうを採用するというのが日本の現実です。

だから僕らの使う、例外と国家機関の使う例外というのは意味が違うわけです。

こういう言葉の意味を市民と国家機関とできちんと統一すべきだと僕は思います。



さて、先日の「日の丸・君が代」最高裁判決です。

僕は、日の丸・君が代についてはさまざまな議論があり、どちらか一方を強制するということは正義に反すると思っています。特に教育現場での有無を言わさない強制には強い違和感を感じています。

敬う気持ちは強制されるものではなく、自然発生的に沸き起こるものと信じているからです。
教育現場で大切なのは強制ではなく、話し合うことだと思っています。

最高裁で請求を棄却された根津先生からメールをいただきました。
ご本人の許可をいただきましたので、ここに全文を転載させていただきます。

「根津公子です。

16日の最高裁判決法廷の傍聴に駆けつけてくださった皆様、あるいは、気に留めて
いてくださった皆様、ありがとうございます。以下、
06年「君が代」不起立処分(河原井:停職1月 根津:停職3月)最高裁判決の要
旨と若干の感想を記します。

 判決は、河原井さんの「処分は取り消す」河原井さんの「損害賠償請求部分は東京
高裁に差し戻す」、しかし、「根津公子の上告を棄却する」という分断判決でした。
11月28日の弁論は、河原井さんに対してだけ開かれたものだったということで
す。弁論の通知が来た9月15日以来、この怖れは何度となく頭を持ち上げてはきま
したが、停職期間を比べれば、停職3月の根津だけ処分妥当とする根拠はないないは
ずだから二人とも処分取消になるだろうとの期待をかなりの率で持ってしまっていま
した。

 法廷で官吏の「上告人根津公子以下、ほか一名」「開廷」の発声に続き金築裁判長
が読み上げたことばは「主文 河原井純子…」。この一言で私は敗訴?!と気が動
転。考えを巡らす余裕を一切失ったまま法廷から放り出されました。判決文に目を通
し、時間の経過とともに、現実をはっきり確認したという次第です。
期待してしまった分、落胆が大きかったですが、「日の丸・君が代」問題を終結させ
たい権力の落としどころと、しかし止めは刺すのだということをしっかり見せつけら
れた感じです。

 この日はアイム‘89の2人(戒告)、都立学校167名(減給1月の渡辺厚子さ
ん、ほかは戒告)の判決もあり、戒告は処分やむなし、しかし、減給は処分取消とな
りました。


 今回の判決は、憲法判断ではなく、「裁量権の濫用があるか」についての判断でし
た。判決は、
 嵒垉立行為に対する懲戒において戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択す
ることについては、慎重な考慮が必要となる」

◆崢篆Δ僚菠を選択することが許容されるのは、過去の非違行為による懲戒処分の
処分歴や不起立行為の前後における態度等に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要
性と処分による不利益の内容との権衡の観点から、停職処分を選択することの相当性
を基礎付ける具体的な事情が認められる場合。」すなわち、「過去の処分歴に係る非
違行為がその内容や頻度において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものである
場合。」
という2つの基準を示し、その観点から判断して、

2聾彊罎気鵑砲弔い討蓮◆峅甬遒猟┣処分の対象は、いずれも不起立行為であって
積極的に式典の進行を妨害する内容の非違行為は含まれておらず、停職処分を選択し
た都教委の判断は、停職期間の長短にかかわらず、処分の選択が重きに失するものと
して社会通念上著しく妥当を欠き、…違法。」

ず津については、「卒業式における国旗の掲揚の妨
害と引き降ろし及び服務事故再発防止研修における国旗や国歌の問題に係るゼッケン
着用をめぐる抗議による進行妨害といった積極的に式典や研修の進行を妨害する行為
に係るものであるうえ、更に国旗や国歌に係る対応につき校長を批判する内容の文書
の生徒への配布等により2回の文書訓告を受けており、このような過去の処分歴に係
る一連の非違行為の内容や頻度等に鑑みると、…停職期間(3月)の点を含めて停職
処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的事情があったと認められるから違法
であるとはいえない」
としました。

 5裁判官のうちただ一人、2人の処分取り消しを主張した宮川光治裁判官の反対意
見を紹介します。
ア.「上告人らが職務命令に従わなかったのはその行為が上告人らの思想及び良心の
核心の表出であるか少なくともこれと密接に関連している。国旗及び国歌に関する法
律と学習指導要領が教職員に起立斉唱行為等を職務命令として強制することの根拠と
なるものではない。通達は価値中立的な意図で発せられたものではなく、不利益処分
をもってその歴史観等に反する行為を強制することにある。」

イ.「上告人らは地方公務員ではあるが、教育公務員であり、一般行政とは異なり、
教育の目標に照らし、特別の自由が保障されている。…公権力によって特別の意見の
みを教授することを強制されることがあってはならないのであり、他方、教授の具体
的内容及び方法についてある程度自由な裁量が認められることについては自明のこと
である。
…式典において、教育の一環として、国旗掲揚、国歌斉唱が準備され、推敲される場
合に、これを妨害する行為は許されない。しかし、そこまでであって、それ以上に生
徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては、自らの思想及び良心の核
心に反する行為を求められることはないというべきである。」

ウ.上告人らの不起立行為は、…人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調
する教育実践を続けてきた教育者としての信念に起因するものであり、その動機は真
摯であり、いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。」

エ.「上告人らの不起立行為は消極的不作為に過ぎないのであって、式典を妨害する
等の積極的行為を含まず、…法益の侵害はほとんどない」

オ.戒告処分がひとたびなされると、累積処分が機械的にスタートする。戒告処分で
あっても過剰に過ぎ、比例原則に反する。

カ.根津の処分歴に係る一連の非違行為の内容や態度には一部許されないものがある
が、本件は単なる不起立行為にすぎないのであるから、停職処分(3月)は是認でき
ない。

判決を読んで思ったこと―
積極的な妨害とはいえない不起立については救済の対象=減給以上の処分は違法、し
かし、根津のように積極的に妨害、批判する者は許さない=停職処分は違法ではない
とした判決でした。一方に救済する者を作り、そこを落としどころとして、しかも根
津には止めを刺し、それを以って今後不起立をしようと思う教員に対する見せしめと
する。裁判所はこうして、「君が代」裁判に幕を閉じようとしているように思う。終
わった問題とすることで現場の教員たちの「君が代」強制に対する疑問や抵抗感を一
掃し、闘いを潰す狙いがあったのではないか、と思います。

そうではあっても、判決が、戒告を超えた処分、すなわち、減給以上は原則違法とし
た点は特筆すべきことだと思います。これにより、累積加重処分は違法となり、実質
東京の10・23通達は半分以上崩れたと見ていいでしょう。大阪の教育基本条例も
見直しを迫られています。

しかし素直に喜ぶことはできません。大阪では職務命令に2度違反した教員を自動的
に停職にできる条項を見直し、停職の前に指導研修の機会を設ける考えを示したとの
こと。そして、橋下市長は「違反状態が改善されるまで現場復帰は認めない」と言っ
たとか。「積極的な妨害、批判等」よろしく、「積極的な非転向。研修の成果なし。
免職妥当」としてくるのではないかと危惧します。

根津の処分も取り消すべしと言った宮川裁判官は、教育公務員は教育の目標に照ら
し、特別の自由が保障されることを指摘するなど、教育の自由の観点を大事にした判
断をしています。でも、その宮川裁判官でさえ、「根津の処分歴に係る一連の非違行
為の内容や態度には一部許されないものもあるが」と言います。「積極的な妨害」が
許されないというのでしょう。
報道の多くが「処分取り消し」ばかりを大きく映し出したことには、どういう意図が
あったのだろうと疑念を持ちました。
とりあえず、ここまで」

 


 

posted by iwajilow | 12:18 | 根津先生vs都教委 | comments(2) | trackbacks(0) |
こんな日が来るとは夢にも思いませんでした
JUGEMテーマ:日記・一般
 
大阪の人たちの選択は選択として、僕は教育基本条例についてはこんな条例を制定する街には住みたくないので、もし賃貸住まいなら直ちに引っ越すだろうなぁと思います。

独裁者がおそらく一番やりたいであろうことは自分の言うことを聞かない教員のクビを切ることなのではないかと想像しています。それがスリーアウト制だったりするわけですね。

さて、あの最高裁判所がこういった独裁者に歯止めをかけるような動きをはじめました。全然報じられていないのですが、昨日最高裁で「日の丸・君が代」裁判の法廷が開かれました。原告の負け続きのこの裁判で最高裁が法廷を開くということはそれまでの判決を見直すということです。

具体的には2006年の卒業式の「君が代」斉唱の時に起立しなかったことで職務命令違反とされ停職3ヶ月の処分を受けた根津公子元教諭、停職1ヶ月の処分を受けた河原井純子元教諭が処分取り消しを求めて都を訴えた裁判です。

(この「日の丸・君が代」問題は思想的には賛否があると思いますが、彼女たちは「強制」に反対しています。僕も「強制」はよくないと考えています)

高裁までは、この都の処分は適法であるという判決が下されました。しかし最高裁は思想信条の自由や教育の自由についてはそれまでの判断を維持するということですが、裁量権、つまり停職という処分について「見直す」ということです。

弁護士さんによれば「いくらなんでも停職処分というのはやりすぎだということではないか」と解説してくださいました。

つまり独裁者が考えているような、人の生活基盤を奪うようなことは慎重にやれ、ということと僕は考えています。

最高裁のような行政追認の組織がこういった判断をしようとしているわけですから、いかに独裁者のやろうとしていることがひどいかわかります。

まぁ、その一方である弁護士の方は「処分は最終的にはいろいろなことを考慮して裁判所が判断するのだ」という裁判所の権益を守るための主張かもしれないとも言っていましたが…。

僕は大阪のW選の結果を見て「まさかこんな日が来るとは…」と思っていましたが、この「日の君」裁判で負け続けてきた根津先生は「まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかった。これを突破口に教育の自由を守る訴えを続けていきたい」と話していました。


ただ、微かな光をエサに「自分たちは正義だ」みたいな顔をしている最高裁にはある面、狡猾なものも感じます。


28日午前10時過ぎ 最高裁前

この日、48の傍聴券を求めて並んだのは93名でした。ちなみに僕は外れました。。。

posted by iwajilow | 11:55 | 根津先生vs都教委 | comments(1) | trackbacks(0) |
根津先生、最後の戦い
「私は今年も起立をしません」
昨日、東京都庁前で「日の丸・君が代」不起立を貫く根津先生が街頭宣伝をしていました。根津先生は現在60歳。今年で定年、つまり最後の卒業式になります。都教委は最後の最後にもしかしたら最も厳しい処分=分限免職を科すかもしれない。その処分をさせないためのアピールです。

「君が代」で起立をしないと教員を処分することを都教委が決めた2004年度から毎年処分されてきた。2007年度は停職6カ月となり、2008年度、2009年度と分限免職(つまりクビ)が恐れられていましたが、それぞれ停職6カ月の処分だった。2010年度は事情により出席できず処分の対象外だったが、今年も不起立を貫くということであれば分限免職という処分が下される恐れがある。


根津先生は「日の丸・君が代」の意味も教えずに「日の丸」に正対し「君が代」を起立斉唱することだけを教え込むのは国家の価値観を子供たちに刷り込んでいることではないか。お上に従順な子供、将来、仕事にあぶれても過労死させられても恨むことなく「自己責任」と受け取る子ども、「米軍基地は沖縄に」など政府の決めることを「甘受」する子供をつくりだすだけではないかといいます。

根津先生は分限免職を何としてでも阻止したい理由をこう説明します。

「分限免職を発動しなければ都教委としてはメンツが立たないでしょう。都教委の中でも心配する側と、メンツが立たないじゃないかと思っている側が両方いるみたいだからそういう話も耳に入ってくるんです。
この後、不起立が続くとは都教委も踏んでないだろうし、多少はあると思うけど10年15年、これから20年以上ある人たちもいるんだけど、そうなると私のようにずっと不起立を続けるわけにはいかないでしょう。その人たちのためにもここで分限免職を出させてはいけないと思って。一番は自分の分限免職よりもこの後のためにやらせてはいけないと思っています」

そう話すと街頭宣伝に戻っていった根津先生。

「強制はおかしいということは多くの教員が感じています。しかし処分が怖いということで多くの教員たちが黙り自分の気持ちに反して起立をしています。そういうことが続いていくとほかのことでもモノが言えなくなってきます。

都教委が出してくる指示は子供たちの成長に全く意味のないことです。教員たちが『上の指示に従う』それだけを目的としたものです。たとえば今年も見ても、服務の起立を徹底すると年に何回もアンケートが降りてきます。それに全員が答えなければ何度も管理職からチェックが入りそれが管理職の仕事のようでありそれに従うのが教員たちの仕事となっています。

子供たちにとって必要なことが学校では論議されず、そして子供たちと向き合うような暇が教員たちから奪われています。ましてやたとえば日の丸君が代について一緒に考えようと授業するようなことはまさしく禁じられていると言ってもいいと思います。そのような授業をすればすぐにチェックが入り指導が入ります。

そのような中で子どもたちは本当のことは知らされていません。卒業式入学式一つをとってもほとんどの教員たちが規律をする卒業式。起立をしない教員を見つけることは4万人もいる東京の学校で不起立なのは数人しかできないような状態になっているわけですから規律をしない教員がいるんだということさえ子供たちは知らされていない状態です。何も教えられない。大事なことはすべて隠されている、それが今の東京の学校です。

その中で子どもたちは真実から遠ざけられ、指示にしたがうのが当たり前、それが一番スマートな生き方ということを身をもって感じていくわけです。私はそれはとても恐ろしいことだと思います。ですから今年の卒業式でも私は起立をしません。子供たちに自分の考えで自分が一生懸命考えてこれが正しいと思うことは貫く、そうしていいのだということを子供たちに身をもって示したいと思います」

(以前、根津先生について書いたブログはこちらへ)


都庁前でアピールをする根津先生 5日午前9時前
posted by iwajilow | 09:42 | 根津先生vs都教委 | comments(0) | trackbacks(0) |
根津先生の夏季授業
「どっちが美味しいですか?」

久しぶりに君が代・不起立の根津先生の授業を受けてきました。

今回はダシの違いです。

最初に出されたのは二つのだし汁。
どっちが美味しいのだろう?
微妙ですが、ちょっと違います。一方はちょっと味が薄いかな…。

「皆さん、どうですか?」
授業を受けていた20人ほどの人が一人ひとり自分の感想を言っていきます。

ほとんどの人が、僕と同じような感想。
「片方が生臭い」と言う人もいました。

さて先生の解説です。

両方とも水1リットルを沸騰させ
火を止めたところで30グラムの花かつおを入れたそうです。

違うのは取り出すまでの時間。

片方は2〜3分で取り出し、片方は10分後に取り出したそうです。
薄いと感じたのは10分のほう。なんでも15分経つとダシが戻ってしまって
味がなくなるそうです。

ダシとは微妙なものなんですね。

さて次は昆布と花カツオのだし汁。
これも二つ用意されました。
飲み比べてみると、明らかに違う。
片方は、いきなりグーッと濃い味がきました。
「都昆布」を食べているような感じがしました。
先生に言うと「都昆布っていい表現ですね」
と言われ、ちょっと嬉しくなりました。
もう片方はほんのり、じわーっと味が広がる感じです。

さて、どっちが美味しいでしょう?
これは意見が割れました。

「都昆布」が美味しいと思った人のほうが少し多かった。
「味がはっきりしている」そうです。
確かに…。でも僕にははっきりしすぎていて、ちょっとダイレクトに
来る感じがいやだった。

さて、この二つどんな違いがあるのでしょう。


「ほんのり」のほうは昆布と花カツオからきちんと取ったもの。もう片方は
「ほんだし」という市販のものだそうです。
こちらはグルタミン酸ナトリウムの味だったんですね。


「ほんだし」の原料は入っている重さ順にアミノ酸、食塩、砂糖、風味調味料(かつおぶし粉末、こんぶエキス)、乳糖、酵母エキスだそうです。

「アミノ酸の方が多いんだから鰹節の風味が出るわけないですよね」と言ってました。

ではどちらが安いのかというと…。

一杯あたり、昆布とかつおダシは35円。「ほんだし」は4円だそうです。
ふーむ…。

こういう参加型の授業って楽しいですね。


授業をする根津先生

以前の授業は[こちら]です。
posted by iwajilow | 19:34 | 根津先生vs都教委 | comments(0) | trackbacks(0) |
処分発令直後の根津先生
何度もこんなことを載せるのは本当に心苦しいのですが、どうしても嫌がらせをしたい方がいらっしゃるので、やはりこの文章から始めます。

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予めお断りしておきますが、僕が根津先生のことを書くと根津先生の何たるかも理解しようとせず、考えもせず「公務員なのだから命令に従って当たり前」と同じ主張を繰り返し批判する方々がいらっしゃいます。

そういう方がいるのは構いませんが、このブログは僕の個人的なブログですので、そういった人の主張に耳を傾ける余裕のない方は読んでいただかないようお願いします。

また通りすがっていただかなくて構わないので、どうぞスルーしてください。

もちろん礼儀を失していると僕が判断したコメントは即刻削除します。

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3月31日都教職員研修センター前 25人以上が集まった


都教職員研修センターに入る根津先生


「今根津さんが出てきました〜!」

大きく丸を作る根津先生に拍手がわきおごりました。

「分限免職できませんでした!」

歓声が上がります。

「根津さん、根津さん、こっちきてマイクで!」


処分を受け取った根津先生


「皆さんありがとうございます。
分限免職できませんでした。停職6か月でした。私はもう昨日は確実に分限免職だと思っていました。

26日の(教育委員会の)定例会で通常でしたらそこで処分が決まっているはずだったんですね。ところがそれは30日にしたわけなんです。その理由はどう考えたってあの中西判決がどうなるかということしかなかったわけです。

中西判決が最悪最低のものでそれこそ都教委の代理人かというような判決でした。しかも今日は私のよび方だけは2時45分に入れと、そして3時発令だと言われていたので、他の人と違っていたわけですね
(他の人は●●時に都教職員研修センターへという呼び出し方)

もうこれは確実に分限免職だと思ったわけです。だいたいあの分限対応指針というのは昨年の7月15日に再発防止研修に間に合うように出されたものですよね。

私たちを対象にして作ったものだというのは誰でもわかるわけです。その分限対応指針を今回使わなかったらほとんどモノ言う教員に使うことはできなくなりますよね。

分限対応指針
08年7月15日に都が出した指針
これには
第5 分限事由に該当する可能性がある「勤務実績が不良の場合」、又は「職への適格性、に疑念を抱かせる場合」の例

(5)上司等から研修受講命令を受けたにもかかわらず研修を受講しない、又は研修を受講したものの研修の成果が上がらない。

(7)法律、条例、規則及びその他の規程又は職務命令に違反する、職務命令を拒否する、独善的に業務を遂行するなどにより、公務の円滑な運営に支障を生じさせる。

(14)過去に非違行為を行い、懲戒処分を受けたにもかかわらず、再び非違行為を行い、都及び教職員に対する信用を著しく失墜させている

第7 分限処分を行う場合
 教育委員会は、次に掲げる場合においては、あらかじめ教職員懲戒分限審査委員会に諮問し、その答申を得て、分限処分を行うものとする。

 1 教職員が地方公務員法第28条第1項第1号又は同項第3号に該当し、当該教職員に対し指導や研修等を行つてもなお当該教職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合

―こういう時には免職(解雇)できるとされている。



ですからもう確実に中西判決があり停職もあまりしてはいけないけれども根津や河原井の場合はいろいろこういう問題があるということをあげて、私の場合は積極的に抗議活動をしているということが理由としてあげられて、2006年の停職3か月は妥当であるという判決だったわけです。

そういった判決があり、分限対応指針を使うというのがありその二つを考えて、しかも私だけ呼び出し方が違って部屋番号を言われ15分の待機時間があるとなるとその15分の間に1か月の給料を渡されて、という手続きがあると思っていましたら、そうではなくて分限免職を逃れました。

これは大勢の人たちがいるということが、やはり都教委にとっては非常に脅威だった。私ひとりだったら簡単にクビできるけど、大勢の人たちがいるから次々と出てくるということがわかったわけですね。

本当に皆で勝ち取った勝利だと思います。
ありがとうございます」

「よし!」

拍手

そして同じく停職6か月という処分だった河原井先生は「決してあきらめない 雑木林の決意」(「社会は学校は雑木林でありたい 多種多様な雑木が共生共存できる雑木林」という河原井先生の文章)を都教委の前で読み上げたそうです。そしてこう挨拶されました。

「まだ停職6か月で復帰できるということはやることが山ほどあるなぁと思っています。本当お忙しいところありがとうございました」



河原井先生
posted by iwajilow | 23:11 | 根津先生vs都教委 | comments(3) | trackbacks(0) |
分限免職発令されず…根津先生の君が代不起立
今日15時過ぎ都教職員研修センターから根津先生が大きく両手で丸を作りながら出てきました。

これ以上ないというくらいの笑顔でした。

拍手が沸き起こります。

「停職6ヶ月です。(都教委は)分限免職できませんでした」

「よく頑張ったよ」声がかかります。

卒業式で「君が代・不起立」を貫く根津先生への処分は「免職」ではなく「停職6ヶ月」でした。

先日の中西判決の後だっただけに、今回は根津さんも免職を覚悟していたそうです。

[中西判決]

[こっちも]

また教壇に立てる。その喜びをいっぱいに表していました。
しかも今回は根津さんが勤務していたあきる野学園の校長が「どうしても必要な先生」として異動もなく、6ヵ月後は再び同じ学校に勤務できるそうです。

詳しくはまた改めて書きますが、今回の不起立の処分は12名。2003年の都の通達以来400名以上が処分されています。

「君が代」についてはいろいろな意見があり、だからこそ強制はどうなの?というのが僕個人の考えです。そして今回、ある先生の話を聞いて、やはり「ふーむ」と考えてしまいました。

都内の特別養護学校に勤務する先生の話です。この先生は今回不起立で「停職3ヶ月」の処分を受けました。

先生は「子供たちのそばですごしたい」と「ずーと不起立するかどうか悩み続けてきた」そうです。「今回、不起立をすると停職3ヶ月というのはわかっていた」からです。

しかし不起立を決意しました。

「3月23日、卒業式に臨みました。しかしやはり立てませんでした。副校長が二人やってきて『9時43分、不起立を現認しました』と言いました。どうしてこういうことが停職6ヶ月になるのかと悔しい気持ちでいっぱいになりました。

私は肢体不自由の子供たちの学校で30年以上勤めてきました。車椅子の子供たちと暮らしてきました。しかし都教委は(卒業証書を受け取るために)子供たちの壇上に上れと命令を出します。君が代のときに『トイレに行きたい』と子供が言ったら『オムツをつけろ』と言います。呼吸器が緊急音を発しているとき介助している先生に対して『立て』と言います。子供が呼吸が苦しくなったので喉の介助をしていた先生に『それは不起立の意思なのか』と事情聴取をします。私はやはり、そういう命令には服従できません」

これってどうなんでしょう…。
posted by iwajilow | 18:03 | 根津先生vs都教委 | comments(1) | trackbacks(0) |
君が代で起立するのは当たり前だろ…という「中西判決」徹底批判の集会
先日の根津さん・河原井さんの判決の後、報告集会が開かれました。

以前の[ブログ]


報告集会の河原井先生

中西判決のどこがおかしいかということがかなり論じられました。

もちろん弁護士の皆さんは自分たちの力不足を認めお詫びしていました。

ここでは皆さんの主張するこの判決のどこがおかしいのかという部分の要旨を、かける範囲で書いてみました。

この弁護士の方々が言っていることは根拠がないことではないということだけは確実です。


和久田弁護士

次の控訴審に向けて頑張っていきたいと思います。

争点としては憲法19条思想・良心の自由に抵触するかという問題が1点、2点目が旧教育基本法10条に抵触し教師の教育の自由を侵害するかという争点、3点目が地公法の規定などに反するか32条、33条の問題。処分権の乱用に当たるかどうかです。

僕らはこの訴訟で一番何を訴えたかったかというと、教育というのは子供と生で接する場ですから停職、君が代不起立を何回か繰り返して根津さん河原井さんが期間を限定したとしても教壇を奪われるという、そういう危険を冒してまでなぜ君が代不起立をしたかと。それは根津さん、河原井さんの長年の教育実践、どんな教育をしてきて、どういう教育実践してきたのか、だから立てなかったのだとという教育的な信念、信条を裁判所にわかってほしかった。

そのための実証をずいぶんしたつもりです。ところが裁判所の判決はそれらの点についてはほとんど触れられていません。

今までの判例の中からピアノ裁判以降の判例を単純に踏襲しているだけです。

裁量権に関しても根津さん河原井さんの30年以上やってきた思いについては全く触れられていない。

根津さん河原井さんが30年間培ってきたものをそこだけ切り取って「立ってないからいけないんだ」と単純に言えばそれだけで切り捨ててしまう。それが本当にこういう教育問題に対する姿勢でいいのか、

きわめて冷酷な判決だと考えます。

憲法19条の思想良心の自由に関しては形式的にはピアノ裁判を引用するようなことはしていません。中身的には「外部的行為を思想の自由と結び付けてしまうとそれで社会は成り立たなくなる」というのが原則で最初に持ってきて、そのあとに「思想良心の自由と抵触が生じる余地がある」という書き方ででも「公務員は全体の奉仕者」ということをいっていてそうすると外的な行為の強制は公務員であればすべて許されるんだという風になってしまいかねない論理になっています。

2点目の不当な支配に該当するかどうか、この点につきましても根津さん、河原井さん教育実践を含めてこの問題はむしろ、思想・良心の自由の問題もあるけれども、教育の自由、卒業式や入学式で日の丸を壇上に掲げそれに正対し強制的に起立されて君が代を歌わさせられるという、これが教育的にどのような意味があるのか。これは一審の中でむしろ協調してやってきました。
証人尋問もやり学者さんもいろいろ言ってくれました。
そういった学者さんの意見については一切触れていない、そういう判決です。

学者さんたちは「卒業式や入学式という行事の中で日の丸を壇上に掲げ起立を強制されることは、国家忠誠意思の強制であると、まさに国家意思の強制なんだ」ということを明快に述べていただきました。確かにその通りで判決は「だからといって日の丸君が代の問題を授業でやることは禁止されていないんだから、そういうことにならないじゃないか」と、いうようなことが書いてありますが、決してそうじゃない。

根津さん河原井さんも本人尋問の中で言っていましたけれども、入学式や卒業式で日の丸に正対してそして立つと、そして君が代を斉唱する、そういうことをやっている先生が授業に帰ったら「日の丸君が代は問題あるんだよ」と言って生徒が納得するかという問題ですよね。

教師として、君が代日の丸の問題性、これはやはり問題があるんじゃないかと、また自分たちの気持ちとしてもNOと言いたい。その気持ちを持ちながらも、しかし入学式卒業式で立ってしまえば、生徒たちは本当にそう思っているのかよ、と思ってしまいますよね。実際納得するのかとそういう問題なると思うんですよね。

そういう問題の中で一番象徴的な儀式的行事の中で、起立をさせると、そのことを受け入れることは耐えられないというのが根津さん河原井さんの核心だったわけです。しかし判決はそういう思いについてはには全く触れず、判決では「教職員が日の丸君が代に関して歴史的事実を教えることを禁止するものではないし、教職員に対し、国旗国歌について一方的に一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものとはいえない」と言っています。

まさにここが裁判所の考え方として極めて不当かつ間違っているところだと思います。

儀式の中で起立を強制させることが、まさにそういう行動をさせることが国家意思に忠誠させるまさに象徴的な行為であるという視点が全くない。

また憲法が最も大事な原則としている個人の尊厳、個人の自由。これを最も大事なものとして国は憲法を掲げているんです。そういうものに一切触れずにこういったことを強制させるのは何の問題はないんだと、教育の自由にも関連はないんだと言い切ってしまう。これが今の裁判所の姿なのかと思います。

処分権の乱用についても、根津さん河原井さんが一番わかってほしかった自分たちの教育実践のひとつとして不起立があるんだということには一切理解を示さない。単に根津さんは今まで色々な処分を受けてきたと、そういう積極的な行為をしている人はいけないと。河原井さんも何回も不起立をしてかつ日の丸に否定的な授業をしたからいけない、簡単にいえばそういう趣旨になってしまいます。

停職については、戒告とか減給とかと違い非常に重要な処分であるということは判決も書いています。判決も総合的な判断が必要だと書いてあるにもかかわらず、河原井さんの教育実践内容など立証してきたことには全く触れず総合的な考慮が必要としながら、考慮しているのは過去の処分歴だけと、いうこういう状態です。

取り方によっては、河原井さんについては懲戒処分の一番思い減給処分、それと停職1ヶ月、どちらをとっても良かったのではないか、みたいな書き方はあるんです。でも何回も不起立をしていたり、授業で批判していたりするので一月でも長いとはいえない、という書き方ですね。

停職1か月というのは停職3ヶ月と違い、1学期分丸々の3ヶ月と違い1ヶ月なので、長いとはいえない、こういう書き方なんです。

じゃあ根津さんは3ヶ月でいいのかという話になるんですけれども、そのあたり雑な書き方だと思います。
根津さんは過去に何回もやっていると、しかも停職1ヶ月のときに本来勤務する学校の校門に毎日立って訴えていたと、そういうことをすることがあたかも3ヶ月という重大な処分を正当化するひとつの事情のような書き方もしています。

そういう意味でなかなか心苦しかったのかなと見受けられないこともないことはないのですが、処分権の乱用ところはやはり裁判官も教壇から外されるというところは(戒告や減給と)大きな差があるということは認識している。そこで悩んだんじゃないかということは見受けられます。



岩井弁護士

根津さん、河原井さんにとって立つことができない。だからこそそれを繰り返している。いうことを私たちはずっと主張してきました。しかし判決文にはそうした根津さん河原井さんという固有名詞が入る部分が非常に少ない。抽象的類型的に判断している。肉を持った人間が悩み苦しんでいる中で決断してきたことを判断しているのではなくて、憲法上の議論を適当にして、違憲じゃないという判断をしただけ。そういったきわめて抽象的な判決という点が納得できない。具体性を書かせることができなかった弁護士の力量不足であるとも思っています。

この判決は明らかにこの判決は確信的に自分の良心思想に従って行動する人への嫌悪感に満ちた判決といえると思います。

例えばこれは、憲法19条の冒頭の部分です。
「一般的に憲法19条の思想良心の自由というのは絶対的に保障される。だけど外部的にその思想良心の自由が表現されるときには制限されることがある」
つまり原則論は「思想良心の自由は絶対的に保障される」ところから入る。

ところがこの判決はその部分についてどのようになっているか。「一般的に自己の思想良心に反することを理由として、外部行為を拒否する自由が保障されるとしたら社会が成り立ちがたいことは明らかであり、これを承認することはできない。

もとより、ひとの思想や良心は外部行為と密接な関係を有するものであり、思想や良心の核心部分を直接否定するような外部的行為を強制することは、その思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから憲法19条が保障する思想及び良心の自由の侵害が問題になるし…」

「でも問題なる時もあるよ」と続くんです。しかし最初は「社会が成り立たないよ」というところから入る。そうじゃなくて「個人の思想良心の自由を守らなければ社会が成り立たなくなるよ」というところから入らない。原則と例外が反対になっているところにこの判決の根本問題があると思う。

なおかつそれが確信的個人の思想良心に基づいて、妥協できないわけですね。
例えば根津さんが立とうと思った、でも裏切ることになるとおもって立てない、そういう心情の細やかな経緯も根津さんが法廷で証言しました。河原井さんも法廷の中でこの思想良心の信条と続けることによって顔面神経痛を年末におこしストレスによって未だに文字が歪んでみえるというような、苦痛や苦悩がそういうぎりぎりの選択をしてきてもやはり破ることができないと続けてきている。
そういう続けてきていることを確信犯とみなして確信犯に対する公然と嫌悪感を示す判決。

たとえばこういう文章でわかるわけです。
特に職務命令違反行為は多数の者が集まる重要な行事である卒業式や創立記念式典の場において教員から指導を受ける生徒やほかの教員、保護者および来賓の前で公然と行われたものである上職務命令の内容や趣旨は原告らに明確に伝えられ、原告らは職務命令の内容を認識していたにもかかわらず意図的にこれを拒否しているのは明らかであり…」

公然、意図的に拒否、そしてこれは軽微じゃないよと続くわけです。

根津さんについては「多数の懲戒処分や、訓告を受けさらに卒業式などにおける国旗掲揚、国歌斉唱に抗議する積極的な行為を続けているのであって…」

この判決のスタンスは何度やっても同じことを繰り返す輩を認めていたら社会は成り立たなくなる。そういう流れで書かれている。

いろいろな評価もすべて否定的な形で使われてきます。

もうひとつ
本件処分が処分権の乱用か否か、という判断について。確かに最高裁の判例は「社会的に見て著しく妥当欠いて裁量権を乱用したと認められる場合に限り違法であると」よめる判例があります。ところがこの件について、この判決は次のようにわかりやすく説明する。

「裁判所が懲戒権者の裁量権の行使としてされた公務員のに対する処分の適否を審査するにあたって」裁判所は審査する時どういう判断で当たるべきかというと
「懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分と比較してその軽重を論ずるべきものではなく」懲戒権者と一緒の立場でこういう判断もあっただろうなぁという単純な比較じゃだめです、と言っていて、そのうえで最高裁の判例を積極的に引用して「懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権を乱用したと認められる場合に限り違法であると判断するべきものである」

ようは懲戒権者が発した懲戒は基本的にひっくり返しませんよということなんです。
この判断は初めて言ったわけではありません。そういうふうな最高裁の判例があります。しかしここまでわかりやすく書いているというところにわたしとしてはオッと思いました。

つまりこの判決によれば「出された処分は基本的に認める。特別な例外がない限り、さらにこういうときに思想信条の自由に違反するとか教育の自由に違反するとか認めれば社会が成り立たなくなる。特別に例外事情があるときしか判断しない」そういう枠組みが作られている。

例外しか判断しない。

特別な事情ということは個別の事情になるわけです。だけれども確信犯だから許さんというのがこの裁判なわけです。

「停職処分については慎重に下さなければならない」という一言が書いてあります。

少なくとも停職というのは非常に重いものとして取られえているとわかっていたと思います。しかし確信犯だから仕方ない。

裁判所は理由を考えてから結論を出したのか、ということです。私は結論が先にあって理由が付けられたと思うんです。
その一つの証拠としてあげたいのが河原井さんへの言及部分です。
河原井さん、今回は停職1ヶ月の問題が問われていました。それについてこういう風に書いてあります。

「停職処分として1ヶ月という期間自体は停職3ヶ月のようにほぼ1学期のすべての期間について勤務できないのとは異なり、長期間とまでいえない」

だから今回はいいんだと。これは河原井さんの停職1ヶ月が重過ぎないということをなんか言わないといけない。でも言うことがない。言及していくと河原井さんのことを理解していくことになる。理解するといことは処分を取り消すということになる。そういう中で唯一あったのが1ヶ月は3ヶ月よりも短いということだった。停職3ヶ月の取り消し訴訟はどうなるんでしょうか?3ヶ月は1年より短いというのでしょうか。

結局理由があって主文があるんじゃないんです。

「懲戒処分になった対象となった行為以外の事情を含めて総合考慮することも正当だ」と、これ自体問題があると思います。なぜならば二重処分の問題が出てきますから。ただ逆に彼らの論理に従って総合考慮しましょうと、であるなら1年間通してどういう教育をしてきたか、子供たちにたいする誠実な態度。校長先生も法廷で立派な教員だったと証言しているんです。そういうのをと総合考慮すれば、これだけでもって教師にとって死刑宣告にも等しい停職処分というのがいかにおかしいかということがわかるはずなんですけれども、この総合考慮は他の処分歴を羅列するだけで終わっている。まさに二重処分だけの問題なんです。

この裁判は非常に抽象的類型的に処理して判断して根津さん河原井さんを全く見ようとしない。
最初からこれを認めたら社会が成り立たないという結論があり
さらに理由さえもなんとでもつけられる理由になっていない理由です。

本当に不当判決としか言いようがない。


戸田弁護士

とても残念だったことはこの事件では根津さんと河原井さんという二人の先生がどういう思いで教育に携わってきたか、それとともに教育の自由というものがどれほど大切なものかということを本当に裁判官に伝えていきたいと頑張った裁判だったんですね。根津さんと河原井さんの教育実践が詳しく伝えられたと思いますし、また本人尋問聞いていただいた方にはおわかりと思うんですけども根津さんが例えば生徒さんを相手にどのように心に届くような教育実践をしておられたか、河原井さんであれば養護学校の生徒さんにはいろいろな生徒さんがいらっしゃる中で、いろいろなご苦労がある中で一人一人の生徒さんに合わせてどれだけ頑張ってやってこられたかということを本当に詳しく表現していった裁判だったんですけど、そういうことに関してこの判決では本当に一顧だにすることなく、どれだけ長い間の教育実践でお二人が心に届く教育をしてきたかということが全く顧みられない裁判でした。本当に残念なことだと思います。

お二人の教育実践の根底には子供たち一人ひとりを大切にする教育をしなければならないということが根底にあったんですね。それは有名な判決の中で「子供の教育というのはそれぞれの子供の人格を大切にすることなんだ」それが掲げられているわけなんです。それに関しては教育学の先生も「子供たち一人一人を大切にすることが根底にある。そのためには先生に行政が介入してしばりつけるようなことをしてはいけないんだ。それが教育の自由の本質ということなんだ」ということをいろいろな表現の仕方で伝えてくれたけれどもその点についてこの判決は全く受け入れることなく、けんもほろろの判決であると。

憲法23条26条については全く判断がないということについては全く判断がない許しがたい判決であると思っています。

一点だけ教育の自由について述べたところは「君が代日の丸については授業でいろいろなことを教えられるからいいじゃないか」と、しかしこれは今教育の現場というのがどういう風になっているかということにほとんど理解が足りない。今教育現場ではそのような教育はできないような状況になっている。

そしてそのあとに続く文章が「だから儀式的行事において先生を無理やり立たせたとしてもそれは生徒に対する一方的な見解を押しつけることにはならないんだ」という非常に形式的な判断です。だけれども教室の中で「いろいろな意見を大事にしなければいけませんよ」といっている先生が、式典になったら全員一斉に立っているということでは「いろいろな意見を大切にしましょう」ということは子供に伝わらないです。そういうことを先生に強要するようでは子供たちに「一人一人の意見を大切にしましょう」なんていう教育はできないです。そのことも再三こちらについては裁判の中で述べてきたんですけれども、その本質についてほとんど届かなかったことは非常に残念なことですし、また控訴審ではこのことについて、どのようにすれば裁判官に伝わるのか考え中ればと思います。


萓野弁護士

はっきり言ってこの判決は、形の上では労働事件の判決形式なっていますが、わたしはこの判決は刑事事件の有罪判決の発想に基づいて書かれていると言わざるを得ない。
前半確かに憲法19条あるいは23条に違反するかどうか形式的に判断していますが、それ以後については型通りこれまでを踏襲する形でカット&ペーストで張り付けたにすぎない。彼らが考えたのは最後の部分、処分権の乱用になるかどうか、ここだけだと思います。民事裁判というのは一応、裁判所は中立のニュートラルな立場で被告の主張、原告の主張を両方を公正に聞いて、はたしてどちらの言っていることが正当かどうかという判断を下す。謙虚に両者の言うことをきくということが立場です。しかし中西裁判長はそうじゃない。ここで幻想を持ってはいけない。中西裁判長の頭の中では不起立、卒業式に立って歌わないということはとんでもない悪いことだいうことが頭にあるんです。

いいか悪いかニュートラルな立場に立って判断しようということではないんです。歌うのが当たり前でしょうという発想があるんです。

まずこの二人は悪い先生だと、残されているのは有罪判決を下すにあたって何か情状酌量する材料があるんでしょうかとそこだけです。

「あんたたち二人が言っていることを聞いていたら社会が成り立たないんだ」とまずこれがあって、これが大前提です。その上で情状酌量すべき事情があるかないか、結果情状酌量に値しません有罪です。こういう判決です。

中西裁判長に幻想を抱いちゃだめです。

最初から君が代を立って歌わない、なんていうことを認めると社会が成り立たないという発想だということを肝に銘じてこの判決を読んでいただきたい。

裁量権の乱用があるかどうか、私たち弁護団は勝つとしたらここだと、力を注いできました。

私たちの主張は、立った、座ったその40秒間、そこだけをピンポイントで論じるのではなくて二人の30年を超える教育者としての営み、どういう信念をもってこの30年間教育活動を続けてきたのか、子どもたちにどういうメッセージを伝えようとしているのか、なぜこれだけプレッシャーを受けても立たないのか、それは理不尽な国家忠誠を強制するようなそんな命令には従わなくていいんだ、NOと言っていいんだということを身をもって子供たちに伝えたい。なんでも上から言われたらはいはいと、どんな理不尽な命令でも上から言われたらはいはいと従うそんな人間に何って欲しくない。この根源的な信念を伝えたい。免職にあるかもしれないけれどもこれだけは次の世代の子供たちに伝えなければ、自分の教育者としての立場はない。この上で30年間やってきたわけです。それを裁判官に理解してもらいたくて一生懸命やったわけです。

教育学者の方にもも証人として出ていただいて、「何でもかんでもはいはいと聞いていたらまた戦前のような暗黒の時代がやってくるんだと、その繰り返しなんだと、そんなことを子供たちに繰り返させてはいけない」。この想い、これを伝えようと思って全力を挙げたわけです。しかし判決を読んでもらえばわかるけれども一言も、私たちが30年間にわたるお二人の教育人生について一生懸命語った部分は一言も触れられていません。

根津さんについては教え子の方にも出てもらいました。まだ高校生です。
高校生に法廷に出てもらいました。根津さんとの出会い、この処分の前の停職1か月の時です。彼女は転校してきたんですけども、立川二中でいじめにあい、担任の教師からもいじめられ「将来になりたいか?」と聞かれて「私漫画家になりたいです」といったら「お前バカか」といわれて、以来先生とは全くしゃべらない不登校になってしまったわけです。2年生の時に不登校になりかけて、半分もいかない。その時彼女が、停職一か月で正門で毎日一日立っている根津先生とたまたま下校の時に知り合ってその場で話をするようになり、それから毎日毎日、30分、1時間、2時間と話し込むようになり自分のいじめられたつらさを語り先生から話を聞くようになり、彼女が初めてうちの学校にもこんないい先生がいたんだということがわかり、やっと学校に行けるようになった。そして卒業できるようになった。あの時に私が根津先生と知り合っていなかったら不登校のままだったに違いない。そういう風におっしゃっていた。

河原井さんの時も七生養護学校の保護者の方にでていただいて、河原井先生の子供たちとの心温まる、一緒になって学んでいく、そして相談相手になり支えていく、そういう営みを語っていただいた。

それを中西裁判長は何も聞いてなかった。結局彼は時間だけを気にしていたわけです。まったく一言も書かれてない。

刑事判決の有罪判決を出すにあたって、有利な事情は「反省してます」「示談しました」など、他方前科が三回あって、みたいな不利な事情、それを両方斟酌した上で被告人を懲役1年にする、ただ執行猶予3年にすると、これが刑事事件の判決です。それ以下ですよ。

有利な事情は何一つ語っていない。他方で悪い事情、根津さんについては繰り返し何度も処分を受けている、日の丸君が代についてずっと批判し続けている。河原井さんについても3回やっている、有利な事情は一言も触れられていません、職務命令だけを取り上げて、結局こんな輩では社会は成り立たない。はい有罪、実刑判決。

最低最悪の判決だというふうに私は思います。
こんな最低最悪の判決をそのままにすることは絶対できません。


河原井さん

不当判決、これ私が書いたんです。この字を書きながら、これが開からなければいいなぁと思っていました。それからあと2本用意しました。1本は勝訴です。あるかなぁ勝訴と思いながら、それはのびやかに描かれていると自分では思っています。もう一つは非常に恐れていたんですけれども私と根津さんが分断される、分断判決という幕も用意しました。分断判決はなかったんですがまさに不当判決そのものでした。
不当判決というのは今後の社会の動向を示唆しているなと思うんです。だから不当判決が出たならば力を蓄えて私たちは何をすべきかということを考え、そしてどういう行動していったらいいかと考えるべき思っています。

私は裁判というのはどんな素晴らしい勝訴の判決が出てもそれを私たちが日常生活の中で職場で地域で具現化しなければ何にもならないわけですね。9.11の難波判決職務命令は違憲違法としたあの判決のあとの卒業式予防訴訟の原告が全員不起立という態度表明をするであろうと思っていました。しかしそうはなりませんでした。あの素晴らしい勝訴判決はただの紙切れになってしまったんですね。あの勝訴も私たちが日常生活の中で具現化しなければ裁判は裁判でしかないと思っています。ですので、勝訴をとったらそれをどんどん広げていこうよ、生活の中で、職場で地域で。ですから不当判決が出たら力を蓄えて打破していこうよ、そういうことなんじゃないかなと思っています。

私のいいところはあきらめないことなんですね。いろいろな所に行くと、「河原井さん頑張っていますね」と言われるんですけど、これはストンと私の中に落ちない。私は決して頑張ってないんです。君が代不起立も教育実践の中で普段着の不起立といています特別なことではない、私は34年教員生活を続けてきてましたが大切にしてきたメッセージは二つです。一つはイエスノーはお互いに言い合おうね。おかしいことにあったらNOと言おうね、そして自分でできることで表現していこうね。

もう一つは男らしく生きることや女らしく生きることが私たちにとって大切なのではなくて、本当に1回限りの人生自分らしく生きていこう。
私の不起立は「強制は全身でNO」です。私ができることは不起立である。そのことは私が自らしく生きていくことの具現化です。そのことを続けていくことが教員を続けていくことのできない、絶壁に立つ、そういう時代に今なってしまっています。

しかしまだまだ抵抗している人はいます。おかしいと感じた時にそれを見過ごさずに、それから自分のできることで抵抗する、あきらめない。これがとても舘説だなと思っています。このことを私が34年間であった子供たちや先生たちに伝えることができたかなぁと振り返るんですけれども私はあと1年で定年です。首にならなければね。まだまだ続けられるかなと思っています。本当に最低最悪の判決です。でも4人の本当に心許せる弁護士さんたちと出会い、これから決してあきらめずに打開していくと、裁判は終わりではない。スタートという思いを新たにしました。


根津先生

こういう判決が出るかな、出てしまうかな、と思っていて最悪の結果が出てきました。今の日本の状態ではこういったことがこれからどんどん出てくるでしょう。

本人尋問の1回目中西(裁判長)さんの顔をじっと見ながら話しているとよく聞いているように見えました。こいつはどんな奴なのかなぁと思っていたんでしょうね。ところが次からは全然聞いていませんでした。私たちが意見陳述をしたいということを弁護士を通じていってもらうと、もう何度も聞いたといいます。二度同じことは言ってないはずですが、そういう言い方をしました。もう全然聞く気がないんだなと思いました。

私はこんな人に裁いてほしくなかったと思います。何にも教育のことわかってないんですもの。教育のキの字も出てこない。私がやっていることが教育でないというのであればそこをきちんと裁判長の言葉で語ってほしかった。反対だったら反対でいい、キチンと語ってほしかった。ところが一言も書かれてなかった。

私たちが今の10.23通達を教育象徴とする東京の教育は教育ではないということを主張してきたわけですね。子供たちの最大の人権侵害であり学習権の侵害であり、教育の自由の侵害であると、具体的に示したわけですが、その具体的に示したものに対して一つもなにも感じ取っていなかった。私はそこの部分で一番怒りが強いです。

こういったものが出たから落胆するのではなく、あくまでも教育のとして今の問題をしっかり告発したいと思っています。運動ではなくて教育活動と思っていますから10.23通達を私たちの方から撤回させる、そういった教育活動を学校の中で作っていきたいと思っています。それはいろいろな人たちがどう立ち上がるかということだとおもいます。

学校の中できちんと教育活動を作っていくことをしたいと思います。これには反対していくということを、声を大にしていくことを、外に向かって、子どもたちに向かって、大きい声で叫び、語りあいながらあるいは生活の中で話すそういうことをしていきたいと思います。


報告集会の根津先生

posted by iwajilow | 10:53 | 根津先生vs都教委 | comments(0) | trackbacks(0) |
お上に楯突くんじゃねぇ…これが日本の裁判
年度末ということもあり、昨日の裁判所は判決が相次ぎました。

お役所仕事のラッシュです。

午後1時30分
東京「君が代」訴訟判決 中西茂裁判長



君が代斉唱時に不起立・不斉唱などを理由に懲戒処分を受けたのは思想・良心の自由を保障した憲法に違反するとして教員約170人が都に処分取り消しを求めた訴訟。


弁護士…
判決では「思想・両親の自由に関して10.23通達は直接に侵害するものではない。教員は全体の奉仕者として職務命令に従わなければならない」とし、「不当な支配」については「校長の職務命令は都教委が行ったもの」と認めていますが「教育委員会が必要としたものだから不当な支配ではない」としています。その上で「処分は相当であり裁量権を乱用したとは認められない」と、全面敗訴です。
この事件の本質を見誤っている判決です。

午後2時
根津教諭、河原井教諭、判決のために地裁へ



2006年の君が代斉唱時の不起立を理由として停職1か月の処分を受けた河原井純子教諭、停職3か月の処分を受けた根津公子教諭が処分の取り消しを求めた訴訟。



午後2時半
根津・河原井2006年事件裁判判決 中西茂裁判長




弁護士…
裁判長は「原告らの主張をいずれも棄却する。裁判費用は原告の負担とする」と主文だけ読んで理由もいわずに立ち去りました。

根津先生…
傍聴に来てくださった皆さん、支えてくださった皆さん、そしてこれからも支えてくれるであろう皆さん、ありがとうございました。あまりにもひどい判決でした。

起立できない、起立してはいけないという私たちの思いが裁判所に伝わらなかったと思うと悔しくて悔しくて、無念でなりません。

直接的に気になるのは今日の判決で今回の処分がどうなるかです。職務命令を聞けないということが教員として不適格と書いてあるとすれば分限免職(解雇)も可能になってしまうんじゃないか。これはきっちり決着をつけないといけないと思います。

河原井先生…
言葉を失う最悪の判決でした。でもこの不当判決から始めていけば必ず風は吹いてくると思っています。どうもありがとうございました。

午後3時
海南島従軍慰安婦裁判判決 渡邊等裁判長



第2次世界大戦中に中国の海南島で日本軍の従軍慰安婦にされたとして中国人女性と遺族の10人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の控訴審


弁護士…
判決は「原告らあの被害はPTSDである。その重篤な被害は現在も継続していて癒されることはない」としていますが「加害行為は兵士の逸脱行為であり国家の行為ではない、ただし国家の使用者責任はある。しかし日中共同声明の請求権放棄によって国に対して有していた請求権は放棄された。故に原告らの請求権はない」としています。



原告の陳金玉さん(83)…
この不当な判決に対して命がなくなるまで、最後まで闘います。

中国人弁護士…
今日の判決は不当判決です。
PTSDは認めた。それが現在も続いていると認めた。ただし日本の政府の責任はないと、兵士が勝手にやったと言っている。人権擁護ではなく日本の政府を擁護するという結論でした。


いずれも権力側に責任なしという判決でした。
さすがです。











posted by iwajilow | 06:56 | 根津先生vs都教委 | comments(4) | trackbacks(0) |
「解雇するな!」…都庁前に150人
昨日に引き続き根津先生のことを書きます。

で、昨日に引き続き予めお断りしておきますが、僕が根津先生のことを書くと根津先生の何たるかも理解しようとせず、考えもせず「公務員なのだから命令に従って当たり前」と同じ主張を繰り返し批判する方々がいらっしゃいます。

そういう方がいるのは構いませんが、このブログは僕の個人的なブログですので、そういった他人の主張に耳を傾ける余裕のない方は読んでいただかないようお願いします。

また通りすがっていただかなくて構わないので、どうぞスルーしてください。

もちろん礼儀を失していると僕が判断したコメントは即刻削除します。

どうぞよろしくお願いします。



★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★

卒業式で「君が代・不起立」だった根津先生。さっそく昨日都教委による事情聴取が行われました。犯罪者みたいです。

同じく「君が代・不起立」で停職6か月の処分を受けている河原井先生の事情聴取も行われたそうです。

このお二人は今年「解雇」の危機にあります。
そこで「解雇するな」と都庁前には支援する方々150人が集まりました。

現職の教員の方を含めさんざまな方が主張されました。その中で印象に残った言葉をいくつか。。

60代の女性
「『君が代』は時の権力がその権威を高めるためのコマーシャルソングだったのだと思う」

組合の方
「この『君が代』について街頭で訴えると必ず妨害が入る。先日も刺青のおじさんが来てワァーワァーやりだしました。『いろいろな意見があるのだから、ある一つの意見で強制するのはよくないんですよ』というと決まって『お前ら日本から出て行け』とこうなるんです。でもこれと『文句があるなら辞めろ』という都教委って同じですよね」

教員の方
「今の職員会議って三鷹の土肥校長が言うように全く議論がないんですね。都教委からこういう報告がありましたって校長が一方的にしゃべるのが職員会議です」

教員の方
「日本の公教育は少なくとも日本国憲法に基づいたものでなければならないはずです。つまり国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄です。そのことを実現するために公教育があるはずです。1人1人の人権、思想・信条の自由、さまざまな自由が学校になければいけないはずです。民主主義を学ぶ場であるなら民主主義が実践されていなければならない。

ところが都教委がやっていることは完全なる上意下達。そういうところで民主主義が学べるのだろうか」

ともに戦おう、というような言葉が多かった中
最後に根津さんがあいさつをされました。

「150人もの方が来ていただき本当にありがとうございます」と言った後、「君が代・不起立」について子どもたちに話をしたということについて話し始めました。

「子どもたちに『なぜ立って歌うの』と聞くと『卒業式だから当たり前』とすっと答えが出るんですね。『意味を知っているの?』と聞くと知らないんです。『なぜ意味も知らないのに歌うの?』と聞くと考えるわけです。

そこから学習が始まるわけです。子供たちは『なぜ教えてくれなかったの?』と非常に興味を示します。いかに教員たちが子どもたちに話してこなかったかといことです。話すことで処分はされません。しっかり教えましょう。

これは子どもたちの教育であって、私たちの戦いではないんです。主体は子どもたちなんです」


根津先生(中央)と河原井先生(右)







posted by iwajilow | 08:43 | 根津先生vs都教委 | comments(0) | trackbacks(0) |
根津先生・覚悟の卒業式
予めお断りしておきますが、僕が根津先生のことを書くと根津先生の何たるかも理解しようとせず、考えもせず「公務員なのだから命令に従って当たり前」と同じ主張を繰り返し批判する方々がいらっしゃいます。

そういう方がいるのは構いませんが、このブログは僕の個人的なブログですので、そういった人の主張に耳を傾ける余裕のない方は読んでいただかないようお願いします。

また通りすがっていただかなくて構わないので、どうぞスルーしてください。

もちろん礼儀を失していると僕が判断したコメントは即刻削除します。



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「これでいいんだよねって…」

昨日都内の養護学校では卒業式が行われました。

「君が代・不起立」を貫く根津先生の勤務するあきるの学園でも卒業式が行われました。

去年、一昨年と停職6か月の処分の根津先生。今年で最後かもしれないと僕もあきるの学園に伺いました。

朝7時30分、根津先生が出勤して来ました。

この日は薄い黄色のパンツスーツ姿。

―根津先生、今日はおしゃれですね。

「あはは(笑)。これは意味のあるスーツなんですよ。

96年の卒業式かな。子供たちが校長と談判したんですよ。『私たちの卒業式には君が代も日の丸もいらない』ってね。その頃は『君が代』はなかったんだけど。すると校長の意思で揚げると言ったことを校長が『君たちの卒業式だ君たちの希望にそって揚げない』と子供たちに謝ってね。

そういうふうに校長が決断した、というか子供たちが決断させた、その卒業式の前日に、もう終わったのは夜だったんだけどちょっとおしゃれしていきたいなぁと思って、その時に買ったスーツなんですよ。それから着ていなかったんですけど、今日着たいなぁと思って」

今日も根津先生は不起立を通すそうです。ただやはり『クビになりたくない』という気持ちと『不起立』という気持の間の揺らぎはあると言っていました。

「覚悟はしているからその部分では気持ちは落ちつけようとはしているんだけど、これでもしかしたら分限免職クビになるかもしれない、っていうふうに思うとやっぱり夕べもほとんど眠れなくて、今日もそのままの気持ちです。

昨日も生徒ったいにちょっとやり残したことがあって、教室に行ったんだけど、半年間ありがとうと言っていると自分で涙声になっちゃうのね、これでもう半年間なのかこれ以降ずっとなのかわからないけどもうこれで入れなくなるとふっと思うとね…。

布団の中で『私は後悔するんだろうか』とずっと考えるわけね、私はこれしか選択の道はなかったというふうに思うんだけど思いながらもやっぱりクビにはなりたくないですよ。

でも、ますますこんな命令と服従の中に教員たちが縛られていて本当のことが子供たちに教えられない状態でそれを何とか食い止めなくちゃ、一人で食い止められはしないんだけど、それに対して『おかしい』と言い続ける人間がいるということは都民の人たちに知ってほしいと思います。

昨日の夜のまま、『これでいいんだよね』と自分で言い聞かせるように、今朝もきました。

先週授業の最後の時に子供たちに話をしたんです。私は卒業式の時には起立をしないと、なぜかという話をちょっとだけ。15分くらいですけど話をしたんです。子どもたちはもっと話を聞きたいと言っていました」

今日はその続きを行動で見てほしいと言っていました。

ただ今年は学校の周りに公安もいなく、例年になく学校の雰囲気が穏やかでした。根津先生によると「去年は校長の要請で都教委たちが見張りにきた」そうですが今年は「校長が断った」そうです。

去年は戒厳令下のような校門前でしたが、今年は根津先生の支援者の配るビラも教員たちも受取り、挨拶をするときちんと返してくれるし、本当に穏やかでした。

校長先生によって学校の雰囲気はずいぶん変わるものです。

根津先生も
「ここでは私が半年間仕事をしたということを管理職たちも認めてくれているという人間的なつながりがあった。そういうことではここでは働きやすかったし、私が起立できないという意味も理解してくれているし、気持ちは楽です」
と言っていました。

(去年の卒業式はこちらへ

そして午前9時40分式が始まり、そのあとすぐ講堂から「君が代」が聞こえてきました。


根津先生が「今日、職員の人に配ろうと思っているんです」というビラをくれました。公開して構わないということでしたので、ほぼ全文を掲載します。

あきる野学園 教職員の皆様へ

31日に「君が代」不起立で分限免職が発令されるかもしれない緊迫した状況にありながらも、私のことに心を寄せてくださる同僚の方のお気持ちに私は救われる思いであります。

卒業式を控え今の私の気持ちを聞いていただきたく、そして、子供たちが安心して暮らせる学校、社会を作るために何をすべきかを考え合う一つの問題て言う気として、受け止めていただきたく思います。都教委の私に対する弾圧は、私個人だけの問題ではなく、東京の教育にかかわる社会的な問題と思うからです。お若い方にお伝えするために少し前のことに遡って話を進めます。

「日の丸・君が代」の取り扱いについては戦後の一時期を除いて文部省が学習指導要領に記述してきましたから、私が在籍していた学校でも職員会議で論議がなされてきました。石原都政になるまでは、職員会議での論議がほぼ保障されており、1976年から1999年まで八王子の小学校に4年、中学校2校に20年在職したときには、私が在職した学校は「日の丸」も「君が代」も一切持ち込まない、持ち込ませない、生徒と教員でつくる卒業式を行ってきました。生徒が主体の教育活動は、卒業式・入学式だけでなく、日常的に行うことができました。生徒たちは、学校が大好き、教員を信頼してくれました。

1989年に学習指導要領に「指導するものとする」と明記されてからは、教育委員会から校長に対し圧力がかかり職員会議や生徒の要望を無視して「上司の命令」を果たそうとする校長が出てきましたが、それでも良心的な校長は、生徒や職員の声を受け止めようと努力されました。それは校長自身が「日の丸・君が代」を持ち込むことを問題と考えていたことが基本にあったのだと思います。**さんが先日ご発言されたように、日本がした侵略戦争を多少とも知り、歴史の事実から学ぼうと思っている者にとっては「日の丸・君が代」は肯定できないのです。

私の母の兄二人は戦死しました。父も戦争に行っていました。そのことを私は幼い時から聞かされていましたが、戦争の実相を知るまでは、昔の出来事でしかありませんでした。18歳の時に読んだ本で初めて侵略戦争であったことを知り、愕然としました。「聖戦」とそそのかされ、赤紙一枚の命令で他国の人々を殺し尽くす。それが戦争であったことを知ったとき、私は「戦争に行った父の娘だ」とその責任を感じ、それを胸に刻んで生きようと決意しました。現地の方にお話を伺い、知るにつれ、その思いは強くなっていきました。侵略戦争に子供たちを駆り立てた「日の丸・君が代」・天皇制、侵略した土地にたてた「日の丸」を肯定することはできません。してはいけないと思っています。

「日の丸・君が代」は国旗・国歌だから尊重すべき、旗に責任はないとお考えの方がいらっしゃると思いますが、もしご自分が日本軍によって殺されたアジアの国の人であったらと考えてみてください。戦争の反省の上には「日の丸・君が代」の復活はありえません。

お若い人に向けて、お節介でしょうけども、子供たちを戦争に駆り立てた国民小学校・尋常小学校の教科書と日本に翻弄された方の声を紹介します。歴史から学ぶために、同じ敗戦国のドイツのように学校教育で必須とすべきことなのに、日本では教えることを事実上禁止していますから。

■十六 日の丸の旗 (初等科修身1 1942年)
…祝祭日に、朝早く起きて、日の丸の旗を立てると、私どもは「この国旗を、立てることのできる國民だ。」「私たちは、しあわせな日本の子どもだ。」とつくづく感じます。…敵軍を追ひはらって、せんりょうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、聲をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。日の丸の旗は、日本人のたましひと、はなれることのできない旗です。

■第二十三 國歌 (尋常小学校修身巻四 1937年)
…「君が代」の歌は、「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお榮えになるやうに。」といふ意味で、まことにおめでたい歌であります。私たち臣民が「君が代」を歌ふときには、天皇陛下の萬歳を祝ひ奉り、皇室の御榮えを祈り奉る心で一ぱいになります。…「君が代」を歌ふ時には、立って姿勢をただしくして、静かに真心をこめて歌はわければなりません。…

■ 従軍「慰安婦」にされた韓国の金学順さんの発言 (1991年「アジアふれあいブック」より)
「機内の窓から外を見ますと、赤い日の丸に似た者(日本航空のマーク)が目に入ったのです。それを見た瞬間、50年の私の人生をめちゃめちゃにした日本に対する思いが一気にこみ上げてきて、胸をしめつけられるような感じがしました。軍人たちはどこへ行っても日の丸を掲げて「天皇陛下万歳」と言いました。日の丸という言葉を聞くだけでも、頭の中がくさってしまうほどいやな思いがする体験をしてきたのです。今でも日の丸を見ると胸がどきどきするのです。…あっちこっち引きずりまわされた私は、日の丸は好きになれません」

ここまで述べてきたように、「日の丸・君が代」に私は反対ですが、それ自体に反対でなかったとしても、都教委の今までのやり方には反対です。教育を破壊し、民主主義を否定することだからです。

都教委が権力を乱用し学校にさせている「日の丸・君が代」教育は、考えずに体感覚で覚えさせるというやり方です。これは教育を否定する行為であり、国家の価値観の刷り込み以外の何物でもありません。臭いものに蓋をしたまま、刷り込み洗脳し、お上(国)を絶対と思う、あるいは、お上に逆らわない子供たち、指示・命令に進んで従う子どもを作ろうとしています。都合の悪い教員を処分で一掃して。事実都教委は、私たちの裁判の中で「起立する教員と起立しない教員がいると、児童生徒は起立しなくてもいいものと受け取ってしまう」だから不起立教員を処分するのだと臆面もなく主張しています。国民の思想統制は、昔も今も学校から行われます。

私は教員として、知識や資料をもとに自分の頭で考え判断する子供に育ってほしいと考え、仕事に当たってきました。教員生命がある限り、その基本線を貫くつもりです。「日の丸・君が代」についても、歴史や意味を授業で取り上げ、「尊重」を強制することについて考え合ってきました。

都教委の不当支配による被害は、直接的には私たち教員が受けていますが、子どもたちに対しては私たちが加害者となることは構造的に否めない事実だと思うのです。教員が本当のことを言えなくなった学校で、再び、戦前戦中と同じ子どもたちが作られていきます。

私は教員になって以来生徒たちに「自分の考えははっきり主張しよう。よく考えて間違っていると思ったら、勇気を出して一人でも声をあげよう。正しいと思ったら一人でも行動しよう」と言ってきました。10・23通達が出された時に、処分され、やがて免職の危機が来るだろうことを考えると、不起立に迷いはありました。今だって経済的にも精神的にもひどい打撃を受けることはできれば避けたい、心配なく同一の学校で働くたいです。しかし、生徒ったいに語ってきたことと矛盾する行動をとることはできません。

不起立を続け弾圧を受け続ける中で自己と向き合い、少しは私も成長できたかなと思います。いじめを受けたり、辛い立場にある生徒の気持ちを理解することに繋がったかなと感じています。起立を拒否する行為についても私の中では、初めのころの「起立はできない」という気持ちから、「起立を拒否する姿を示そう」というように膨らみが起きています。

誰もが人権を保障され生きる権利を持つこと、それは誰にも侵されてはならないこと、それが侵害されるときには主張して行動していいのだということを生徒たちに実践的に示していこう。そう考えるようになりました。その考え方が、非正規雇用が増大し、低賃金・首切りが当たり前、職や住に事欠く人たちが国家政策として大量に作られているこの国で、生きるためのスキルだと思うのです。人権が脅かされ本当のことが言えなくなった社会は戦争に近い社会。南大沢学園、そしてあきる野学園の生徒たちと一緒に生活してみて戦争になれば真っ先に生きる権利が奪われるのは、障がいを持っている人たちであることに思いを寄せます。

こんなことを考えながら、今日私は「君が代」斉唱時に座ります。

(後略)

さて、読んだ教職員の方はどうお感じになったのでしょうか。。。


校門前で応援にきた方のお子さんと根津先生










posted by iwajilow | 07:34 | 根津先生vs都教委 | comments(0) | trackbacks(0) |