Search this site
TVディレクターがメディアでは伝えられないニュースの裏側を日々レポート。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by スポンサードリンク | | - | - | - |
少年は本当に悪魔か
JUGEMテーマ:日記・一般


国民の命よりも天下り先や利権が大切な官僚とその取り巻きの政治家たちは計画停電や雇用や経済を人質にとって国民を脅しにかけています。

だいたい、脅しをかけて原発を再稼働させる事が政治なのかと僕は思います。たくさんの選択肢を用意すること、不測の事態に対する備えを提供することが行政や政治の仕事ではないのでしょうか。

「自分の責任で」と言っていますが、具体的にどのような責任をとるのでしょう。万が一事故が起きた時に「死んでお詫びする」くらいでは全く足りません。今まさに起きている福島の事故でさえ、誰一人責任を取らず、結局費用も何もかも国民負担になっているわけじゃないですか。結局、責任は国民が負わされるのではないですか?大飯原発を再稼働させて万が一事故が起きた場合、具体的に誰がどのように責任をとるのか少なくとも明確にしてください。

 
 

大飯再稼働でも計画停電準備 4電力管内で、政権方針
 野田内閣は1日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)が再稼働しても、関電など4電力管内で計画停電の準備を進める方針を確認した。電力需要が増す7月上旬までのフル稼働が間に合わないとみているためで、緊急の事態に備える。関電管内では1日2回実施する地域が出る一方、原発周辺地域は対象外とする方向だ。

 計画停電は、7〜15%の節電を要請する北海道、関西、九州、四国の4電力管内が対象。実施主体は電力会社だが、昨年の東京電力管内で実施した時の混乱などを踏まえ、内閣としても準備にかかわる。
 2012年6月2日5時57分 ASAHI.COM


そういったわけで僕は政府をはじめとする向こう側の人々の発表は全く信用していません。
光市母子殺害事件に興味を持ったのも、向こう側のリーク情報や主張に疑問を持ったからです。

先週の土曜日、この事件の弁護団報告会がありました。
少しこの事件を担当する安田弁護士と話をできたのですが、その時に「今秋くらいをめどに再審請求の申し立てをする」と言っていました。それは「最高裁でほとんど、こちら側の証拠が採用されなかった」からだそうです。

人一人を死刑にするのですから慎重の上にも慎重に審理すべきですが、弁護側の提出した証拠は審理しないというのがこの国の裁判です。僕は少なくともこういった裁判の現状を官が見た場合、現行の死刑制度には反対せざるを得ません。

さて今回は、最高裁の差し戻し上告審に当たって弁護団側が用意したいくつかの鑑定が報告されました。

その中でも虐待児童の心理などの研究されている山梨県立大学の西沢哲氏の話を非常に今日海深く聞きました。西沢氏は少年について大きく5点について分析され報告してくださいました。

その5点とは成育歴における特記事項。配管工になり済まして各世帯を訪問していたことについて、検察のストーリーでは強姦の対象を物色していたということにされているが本当に物色していたのか。被害女性に対して抱きついてしに至らしめるまでの彼の心理分析。被害女性に対して死後に死姦するにいたった彼の心理状態。矯正可能性についての5点です。

「まず成育歴における特記事項ですが、彼は母親の自死を目撃しています。それ以前は母親が父親からDVを受けていてそれを目撃して育っています。実母を守ろうとする彼自身が暴力を受けています。実母からの性的虐待がありました。父親の暴力的支配を受けていました。通常なら思春期に力関係が逆転するのですが彼の場合は18歳になってもまだ暴力的支配が続いていました。日頃から父親から首に包丁をあてられるような脅迫行為を受けていたことから学習性無力状態にありました。つまり『どうしようもない』という心境に追い詰められていたと考えられます。

実母からの性的虐待という関係の中で実母との密着関係がありました。彼にとって実母との関係は心理的な逃避の場になっており、父親の暴力から逃れるために母親との関係に逃げ込んでいたと考えられます。これは中間領域という概念であり、現実世界と完全な空想世界との間にある心理的領域が中間領域といいます。彼の場合は実母との関係が『苦痛な現実』=『父親の暴力支配』から逃れる世界として実母との関係が中間領域という機能を果たしていたのではないでしょうか。

彼が12歳の時に実母が首つり自殺しているのを目撃しています。この目撃は極めて衝撃的であり彼は20年以上経った今も克明に覚えています。この実母の喪失体験というのは病的悲嘆と呼ばれるものになっています。悲嘆反応は大事な人を失った時にだれでも感じる一般的な悲しみの反応ですが、それが通常の悲嘆のプロセスを経ないで病的な悲嘆、悲嘆の状態が自分の中で処理できないで捉まってしまう状態になっています。この病的悲嘆を生じたのは二つの要因があると考えられます。一つは父親への怒りです。父親が母親に対してDVを繰り返していたことから母親は死を選んだ、ある意味父親が母親を殺したという認識があります。それによって生じる父親への怒り。そして母親に対しては悲しみの感情があるが一方で自分を置いていったという見捨てられ体験に起因する母親への怒りもありました。こういう状態がうまく処理できないままに病的悲嘆に至ったのではないかと考えられます。

病的悲嘆の特徴としては悲嘆反応の欠如、故人に対する過度な探求・囚われ、死の受容の拒否といった特徴がみられますが彼の場合も『母親が今も生きているような感じがする』『母親が帰ってくる時間になると帰ってくるんじゃないか』という思いを長期に渡って持っていました。

生前は『中間領域』としての母親との関係の中に逃げ込んでいましたが母親が亡くなった後にも彼はある意味母親を失っていません。父親からの暴力などの現実世界のストレスに出会うと彼は中間領域に逃げ込む傾向があります。
それを裏付けるエピソードに家庭内家出というものがあります。5日間ほど家庭の中の押し入れにこもり家出をしたふりをしました。親や周囲は彼が家でしたものと思っていましたが実は自宅の押し入れの中にいました。押し入れの中は生前の母親が使っていた布団や衣類が残されていてそこにると実母の香りがして実母と一緒にいるような気持ちになったとのちに彼は述べています。さらにそこで実母を想起してマスターベーションをしています。

こういった成育歴上の特記事項を踏まえたうえで彼の犯行当時の心理状況を臨床心理的にはどう理解ができるのでしょうか。成り済まし訪問の心理状態はこう考えられます。

彼の高校時代の適応様式はピエロ的な役割を担うことによって周囲と結び付いていました。クラスメートが自分に何を求めているか察知してピエロ的にふるまうことで適応していました。社会人になることによってそういった彼の社会適応の方法が破たんをします。その中で閉塞状況に陥って当時強い孤独感と寂寞感を感じていました。出口が見つけられない事で退行的な依存欲求が高まっていたと評価ができます。その中で配管工のふりをして各家庭を訪問しました。フリをするということ事態は中間領域と類似した特徴があります。

フリというのは現実ではそうでないということです。しかし会社の制服を着て各家庭を訪問することによって非現実的な部分として『中間領域的』にふるまっています。仕事をしていない自分の現実を制服をして仕事をするふりをすることによって、自分に対してごまかしていたという状況になっていました。訪問してインターホンを押して家人と話をすることによって何がしかの依存欲求の満足も得ていたと考えられます。彼は基本的に強姦相手を物色するような形で各家庭を訪問していたのではないと考えることができます。

被害女性に対して抱きついて死に至らしめるまではどのような心理経過をたどったと考えられるのか。
被害女性の家庭に至るまでは全て訪問を断られています。被害女性は彼を家に招き入れました。これは今までは断られてきた『中間領域』の存在が彼女と出会うことによって『中間領域』の共有ができるようになったと考えることが可能です。

つまり自分は仕事のふりをしている。仕事のふりをしていることを信じてくれて自分を家に入れてくれて配管工の仕事をさせてくれる人が彼女の意味、つまり『中間領域』の共有がおこるわけです。

彼は被害女性に対しておそらく自分自身の実母像を投影していた可能性があります。被害女性を見た時に赤ちゃんを抱いている状態の母親という存在に対して自分の実母像を投影していました。

鑑定面接で『フワーッと何か別の世界にいるような感じで抱きついた』と被害女性に抱きついた時の心境を述べています。『フワーッと』あるいは『別の世界』という言葉が『中間領域』の存在を示唆していると考えられます。中間領域にいる実母が投影されている被害女性への期待と反撃の現実が大きな衝撃を与えたのではないかと考えられます。

被害女性に実母が重なっている中では自分が抱きついたことに対して受け入れてくれるはずだという期待がありました。ところが抱きついた彼に対して被害女性は当然反撃を加えます。反撃は現実世界、『中間領域』から『現実世界』に強制的に引きずりだされたと考えることができます。そうすると精神的パニック、恐慌状態に至ってその後の行為に至ったのではないか。

彼は『恐かった。被害女性が恐かったというよりも父親から虐待されているような怖さがあった』と述べています。パニック状況の中で父親からの暴力の恐怖、トラウマ性の恐怖がフラッシュバックを起こしたことも重なり精神的パニック状態に拍車をかけたと判断できます。

被害女性が死に至ってしまった後、屍姦をする。こういった心理状態はどう考えられるのでしょうか。

被害女性には実母のイメージを投影していた事が関連していると考えられます。彼は被害女性の遺体に脱糞があることに気がつきます。臭覚刺激によって気がつきますが臭覚的な刺激はトラウマ性のフラッシュバックを起こしやすいというのはよく知られていることです。脱糞処理をする中で臭覚への刺激がカギになって母親が首つり自殺した時に同じように脱糞があった事がクロスします。母親の遺体のイメージがフラッシュバック的によみがえってきた可能性が高い。

被害女性の遺体に実母が投影された。母親像が重なった被害女性の遺体に対して性行為をします。実母とのセックスの延長線上の行為ではなかったかと考えられます。実母から性的虐待は受けていたがセックスは否定しています。しかし彼は実母とセックスすることは長年の夢だったと語っています。なし得なかった行為がここで出現したと説明することは可能です。

性的行為の有する空想性と心理的逃避が重要な役割を果たしています。性的行為というのは性的なファンタジーが先行してそれが実体化していくと考えることが可能です。性行為の中にはファンタジーの要素があります。性行為そのものを行っている時は現実世界から少し遊離していると考えられます。現実世界では二人を死に至らしめたという極めて苛烈な現実がりました。この苛烈な現実が18歳の少年に極めて強い精神的衝撃を惹起したことは想像に難くありません。

この事態に対して彼は性行為という世界に逃げたのではないかと考えられます。逃避したのではないかと考えることができます。彼の性行為は強姦的な意図を持ってなされたものではないのではないかと考えることも可能です。

ドラえもんのポケット、生き返りの儀式という発言は極めて重要な意味を持っていると思っています。『取り消し』と呼ばれていることに当たるのではないかと思います。『取り消し』というのは精神分析の言葉で心理的防衛機制のひとつで、きわめて原始的な防衛機制、あったことをなかったことのようにふるまう、なかったと信じ込むとうものです。自分が何かをしてしまった時にそれはなかった、私はやっていないんだという防衛の仕方です。彼は被害女性の遺体を前にして、生き返ってほしいほしい、これはなかったことなんだと信じたい、さらに生き返ってほしい、性行為が加わった時に性行為をすれば生き返るのではないかという思いが強くなっていきます。

『生き返ってほしい』から『生き返るはずだ』という自己暗示的な作用が生じたことを語ってくれました。『現時点では信じてないがその時点では信じなければ自分が崩壊しそうだった』と述べていました。これは『自我の崩壊』という現象を防衛するために自分に言い聞かせたと考えられます。

ドラえもんのポケットなどに対してもそういった意味合いが強いように思われます。

矯正可能性についてですが、彼自身事件当初は『被害女性に責任がある』あるいは『激しい怒りを持っていた』と言っていました。つまり『被害女性が自分を家に入れてくれなければあるいは会社に身分照会してくれていればこんなことになっていなかったんだ、どうして自分を家に上げたのだ』という理不尽な怒りを持っていた。

鑑定面接で『どうしてあなたは彼女があなたを家に入れたと思いますか』ということを繰り返して聞きました。すると彼は最初、『彼女が悪いんだ』と言っていたのが『彼女は僕を信頼していたのだ、それを自分は裏切ったのだ』という認識、気づきを表現します。ただしそれを認めたくない。認めることに対して心理的抵抗を示していました。私は彼の中にある罪悪感が日々濃くなってきていると認識しました。

彼自身他者視点が非常に弱い子供だったのが他者視点が徐々に形成され共感性が育ち自分のなしたことに対する本当の意味での罪悪感を感じることができるようになって来ているのでないかと感じました」

そうは言っても死んだものは返ってこないと一刀両断にするのは簡単です。しかし僕は聞く耳を持つことは大事だと考えます。



西沢哲氏

posted by iwajilow | 11:32 | 光市事件について | comments(3) | trackbacks(0) |
これで満足ですか?
JUGEMテーマ:日記・一般

この話は僕が想像で作ったフィクションです。
実際の事件とは関係ありません。。。



刑場に連れて来られた若者はまだ18歳になったばかりだった。
世間知らずで生意気盛りだったのかもしれない。
ふてくされた態度が観客の怒りを買っていた。

その男の罪に対して、被害者の男が涙ながらに訴える。
妻を殺されました。娘を殺されました。
そしてこう訴える「彼を殺してください…」

その訴えに観客が同情の涙を流す。
一人の男が叫ぶ「殺してしまえ!」
観客による大合唱が始まる「殺せ! 殺せ!」

弁護側が「この若者を殺してはならない」と訴える。
「彼はまだ18歳です」
会場の「「殺せ! 殺せ!」という声にかき消されそうになりながら
弁護士は「殺してはならない」と訴える。

刑場の中央に座る裁判官はこうジャッジした。
「まだ18歳と若い。殺してはならない」
しかし、その判断に「殺せ! 殺せ!」の大合唱はますます大きくなる。

裁判官はほうほうの体で退場し、別の裁判官がやってくる。
やはり「まだ18歳だ。殺してはならない」と判断する。

被害者の男が「なんで殺してくれないんだ!」と叫ぶ。
満員の会場は心を一つにする。割れんばかりの大合唱が始まる。
「殺せ! 殺せ!」

弁護側は彼を殺してならない理由を訴える。
「彼は日常的に父親から暴力を受けていたんです」
「彼は12歳の時に母親が自殺したのを目撃し、以来成長が止まってしまったんです」
「彼に殺意はなかったんです。それは科学的な証拠に基づいて明らかなんです!」

しかし、その弁護側の声は「殺せ! 殺せ!」という大合唱に消されて届かない。
それどころか、その弁護側に対してモノが投げつけられ罵声が飛ぶ。
「こいつらもやっちまえ!」。

再び交代した裁判官が告げた。
「若者は死刑!」

満員の会場は割れんばかりの拍手だ。

「さすが、裁判官だ」
「奴がやっと殺されるよ。良かった、良かった」
「さぁ、帰ってビールでも飲もうぜ」


posted by iwajilow | 09:13 | 光市事件について | comments(16) | trackbacks(0) |
「福田君を殺してなんになる」への怒り
先日の「今、裁判が恐ろしい」という市民集会で、あの実名暴露本についての話が出ました。

光市事件の弁護人である安田好弘弁護士は出版差し止めを求めています。


出版された人たちは「匿名では人格を表現することはできない。実名であって始めて彼を表現できる。彼を死刑にしていいのかということを問いたい」と言います。彼を救おうとする試みだとも取れます。

しかし私はそれはまったく違うと考えています。

私たちが実名を出すこと自体が彼の社会復帰を妨げると主張したことに対して彼らは
「彼は死刑、良くても無期懲役、社会に復帰することは基本的にない。したがって彼の更生を考える必要はない」と言います。それを聞いて私たちはびっくりしました。

彼は何を主張しているかというと「強姦する目的もなかった。殺害する目的もなかった」といっている。そうすると強姦罪は無罪、死姦になるわけなのでこれは犯罪でない。殺人については傷害致死になるわけですからこれはそもそも無期懲役にもならない。彼は少年ですからもし彼の主張が正しいとすればせいぜい10年くらいの有期懲役。かれは未決が10年を越えていますから判決と同時に釈放される。

彼はそのことを第1次最高裁、あるいは差し戻し審、そして今上告で一生懸命主張している。精神科や法医学者心理学者たちは彼の言っていることが正しいといってますし、少年鑑別所の人たちもはるか昔から彼の言っていることが正しいと言っている。

この幼い彼が強姦を計画できるはずがない。さらに意図的に人を殺せるはずがないと言っています。さらに現場の状況も、あるいは被害者の遺体に残った痕跡からしても彼の言っていることが正しいといわれています。そういった状況の中であの書籍は彼が死刑、あるいは良かったとしても無期懲役、社会復帰しない。そして彼にどこで死刑にされたいかまで言わせてそのことを書いている。

確かに出版の自由を止めるということは重大なことかもしれない。ただしこの表現というものは彼を書くという名を借りて、あるいは実名をタイトルに載せるというセンセーショナルさに名を借りて出版というある種の営業行為だと思っています。

この出版について彼はこういうことを言っていました。「実名掲載することに関しては彼はその内容いかんで承諾する。だから原稿を見せてほしい。周りの人に迷惑がかからなければ自分は承諾する」

そういう承諾前の状態であった。しかし彼の元には原稿は送られてきませんでしたし、実はこの本が売られた後にも彼には送られてきてない。出版しましたという報告もしていない。私どもが買い求めて彼のところに送ってはじめて彼の手元に届いたんです。

「10月10日土曜日ですがようやく書籍を入手し早速目を通しました。(実はこの本は10月7日に販売されていました)端的言うのならば『悲しい』なぜならそこには私のことだけでなく私の家族のことも書かれていますし、友人のことも書かれていました。

このような心のない記載に対し抗議するとともに現在の心境は心臓をつかまれのた打ち回るような痛みにとらわれています。大切な両親のことも踏みにじられていることが私にとっては痛烈なダメージ。一体これから何を信じて私は生きていけばいいのかと訴えたい」

この事件は発生のときから意図的に事実を曲げられて利用されてきました。発生のときはちょうど少年法が大きく右側に回転するときでした。少年法は「子供に愛を」という少年保護の精神であったんですけども、その精神を180度変えて子供にも大人と同じく懲らしめるという大改正にこの事件は使われました。

その次に使われたのは被害者の訴訟参加という必要性を訴えるものとして使われた。その結果被害者の参加制度が確立しました。さらに最後に使われたのが裁判員裁判のために彼の事件は使われました。少年でも二人殺害すれば死刑にする。ということを裁判員裁判が始まる前に量刑を示した。こういう形で彼は徹底して利用されました。

こうし徹底的に利用され
また今回はこういう形で民間人に商売の道具として彼は利用されました」

少年に出版後、面会をしたという浅野さんも
少年が安田さんに話したのと同じようなことを言っていたとのことです。

「だまされた」と特にこの本の中におじちゃんの住んでいる地名が出ていることも大きいということでした。

浅野さんは何度か彼との面会のことを雑誌に書いているそうですが、
「必ず原稿段階で送って、彼が中でチェックして出版する。本当に細かくチェックするんです。自分はいいけど友達などに迷惑がかからないように相当チェックをする。
そういうきめ細かいチェックをする人がこんな本を了解するはずがない」
とのことです。

ジャーナリストの青木理さんは「出版物の差し止めを求めることは絶対反対」としながらも「あの本はほとんど覚悟のない杜撰な本だと思う」と言っていました。


青木氏も死刑判決を受けた少年を取材していて実名を公表したいと思ったそうです。

何度も面会を重ね、「僕がなぜこんな事件を起こしてしまい、今どういう考えでいるのかきちんと面得てくれるのならいい」とOKをもらったそうです。

が、原稿を見せてくれと言われた。原稿は見せられない、その代わり君の言った言葉の部分は見せると。その結果「ピックアップした僕の言葉はぼくの一番言いたいことと違う。間違ってはいないけど、一番言いたいことではない。この部分をピックアップするのなら実名公表は承諾できない」と言われ断念したそうです。

青木氏は
「真摯な問題提起をするときにこちら側がつめてつめてやらないといけない。今回そういうことがどうやらまったくされていないと感じる」と言います。そしてこう続けました。

「僕らにはそんな権利はないんです。本人たちの意向に反してそれを書くような権利もなければ資格もない彼らを一生懸命説得して彼らを納得してもらって出すしかない。もちろん権力者や企業の幹部、大宗教団体の幹部は彼らの許可なんか必要ない、今回のケースは私たちにその権利はない」

実名を出すか、出さないか。
僕らもそのことについては取材対象ときっちり話し合います。それってもっとも基本的なことなんだと思うんだけど…。
posted by iwajilow | 04:19 | 光市事件について | comments(1) | trackbacks(0) |
実名暴露本「福田君を殺してなんになる」のユルイ中身
光市母子殺害事件の被告のことを書いた本が出たというので早速購入しました。この本はこの元少年の実名を出したということで話題になり、すでに完売状態だそうです。

光市母子殺害、元少年実名本で広がる波紋

 山口県光市の母子殺害事件で死刑判決を受け、最高裁に上告中の元少年(28)を実名で取り上げたルポルタージュ本の販売が7日、東京都内などで始まり、一部の書店では入荷分を即日完売した。
 その一方で、元少年側が申し立てた「出版差し止め」の仮処分について、裁判所の結論が出ていないことを理由に、販売を自粛した書店もある。書店で本を手にした人からも、実名掲載を批判する声が聞かれるなど波紋は広がりを見せている。
 東京・池袋の大手書店「ジュンク堂書店池袋本店」。7日は午前10時の開店直後から問い合わせが相次ぎ、入荷分の50冊を正午ごろから売り出すと、約3時間半で完売した。
 購入者の男性会社員(36)は「これだけの事件を起こしたのだから実名が当然」と語ったが、新宿区、自営業斉藤智弘さん(35)は本の中身を見た後、「法律は原則として守るべき。筆者の気持ちも分かるが、個々の判断でやると歯止めがなくなる」と話し、実名掲載に疑問を呈した。
(2009年10月8日10時12分 読売新聞より)


しかし、まぁ酷い。これ、なんでもない。ただ単に元少年とのやり取りを載せただけです。逡巡しているような様子もない。圧倒的に取材量が足りない、考察も足りない、文献や資料にも当たってない。本の中には弁護団が取材拒否したりお父さんが怒ったりという記述も出てきますが、怒るのも当然だなぁと思いました。
この著者は常に自分が正しくて、取材に応じるのは当たり前というスタンスで貫いている。よほど取材経験がないのだろうなぁと思いました。

弁護団が取材拒否することをかなり非難していましたが、あれだけのバッシングにさらされた弁護団が警戒するのは当然だと思うし、どうしても取材したいのなら礼を尽くすべきだと思う。

「ボタンを掛け違えているので取材には応じることができない」と弁護団に断られた後、たとえばこんなやり取りがあります。

取材依頼をFAXで弁護士事務所に送った後に確認の電話を入れたという場面です。

(ここから引用開始)
ですから、あの、今、そちらの事務所にFAXお送りしたので、確認してください。FAX届いていると思うので。
「はぁ、すいません。あの、把握できてないので」
―だから「届いてるかどうかを確認してください」って言っているんです。
「ええ、ですから、把握できないんです」
―なんで把握できないんですか。FAXがあるんでしょ、そこに。FAXが届いているか届いていないかも確認できないって、法律事務所としてどうなんですか?
「はい、あの、わかりません」
〜中略〜
―じゃあもう、あなたのその対応、そのまま書きますからね、ほんとに。あなたそれ、責任持てますか。
「はい、はい」
―あなた、お名前なんて言うんですか。
「はい、もういいですか」
―お名前、なんておっしゃるんですか。
「もういいですかねえ。じゃあ、はい、そういうことで、切ります」(一方的に電話を切る)
(引用終わり)

ただのクレーマーじゃないか。

弁護団の言っていることはこうだ。

(引用開始)
「事件が真実かどうかを確かめたいというのであれば、彼に会わないでできることをまずやってください。最終的な仕上げの段階で、どうしても会わなければできないんだということが出てくれば、その時点で相談させてください。まぁ、あなたは、まだやるべきことをやってないと思いますよ」
(引用終わり)

至極もっともだ。

やるべきことはたくさんある。少なくともこの本を読んだ限りでは上告趣意書も過去の記事もこの事件に書かれた本もほとんど読んでいない。出てくるのは綿井さんの書いた「創」の記事や、「なぜ君は絶望と闘えたのか」や「なぜ僕は悪魔と呼ばれた少年を助けようとしたのか」くらいだ。

上告趣意書、判決文はもちろん関係本や新聞記事、週刊誌記事を片っ端から読み、さらには少年が獄中で読んだ聖書も、ヒントになりそうなものを全部読む。そして少年の育った町を歩き、関係者に話を聞き、少年犯罪について過去の判例を研究し、心理学者にあたり、弁護士に話を聞く。やれることはたくさんある。

これでは自分の「女」を武器にして元少年を利用したと、とられても仕方ない。

安田弁護士に話を聞きたければ、きちんとこちらのことをわかってもらうべきだ。取材なんだから当然応じるべきなんて態度で取材していたら何も取材できないのは当たり前だと思う。

相手の立場を考えて取材しなければ、誰も心を開いてなんてくれない。僕らは当事者ではなく、取材者なんだから。

僕だって安田さんに何度居留守を使われたことか。FAXしても当然なしのつぶて。だからもう、ストーカーのように安田さんの顔を出すところには足を運び、顔を覚えてもらって、ようやく最近になって口をきいてもらえるようになった。

彼らは責任を持って最前線で戦っている。一人の命を救えるのか救えないのか、ぎりぎりのところで闘っているのだ。通りすがりのマスコミとは違うのだ。

だからただ「元少年が会いにきていいといわれたから会いに来ました」レベルの話ではないのだ。

そして出来上がったのが、こんなにユルイ、ただブログのように少年とのやり取りを記し、あとは取材拒否した人々への非難という本ではなんとも情けない。

これで実名を出す必要があったのか?そこに至る逡巡も何もないではないか。実名を出すことで少年はたとえ死刑を免れたとしても一生後ろ指を差される危険性が伴う。さらに父親や弟たちの生活が破壊される危険もあるのだ。そういった責任を彼女は考えているのだろうか?

実名を出したことが話題にならなければ、誰も手に取らない本だったのだと思う。

彼の肉声が少し聞こえてきたことがこの本が世に出た意味なのだとは思いますが、ほんとちゃんと取材しましょうね。たとえそれが茨の道でもそれがジャーナリストの存在理由でもあるんだから。

ただ、これだけ協力が得られない中で一冊の本を完成させた根性というのはすごい…のかな。。。

追記
知人のジャーナリストが「あのテレビとかで話題になった、挑発的な手紙に至る経緯というのは今までどこも明らかにしていなかったよね。こんなことがあったなんて知らなかった」と言っておりました。

確かにその通りでございます 09年10月17日記
posted by iwajilow | 20:31 | 光市事件について | comments(0) | trackbacks(0) |
「光市母子殺害事件」の少年は本当に鬼か?
「『光市事件』弁護団に聞く〜弁護団は何を主張・立証したのか」というシンポジウムが昨日(15日)四谷で開かれました。

この事件については、被害者感情がものすごく強調され、とてつもない弁護士バッシングが起きています。

少しでもこの流れに異議を唱えると「人非人」とか「身内が殺されてもそうなのか」とか「二人殺したことには変わりないだろ」とかまさに戦前の「非国民」のような非難を浴びます。

しかし、この非難の嵐が検察・警察が意図的に作り出したものであれば、それはそれは恐ろしいことです。

なにせ、今までの判例に反して死刑基準を緩めるわけです。この被告の命をこういった世論の大合唱が奪うことになるのはもとより、裁判員制度を前により死刑判決が出やすい環境を整えることになります。


さてシンポジウムでは安田好弘弁護士をはじめ弁護団の方が事件についてひとつ、ひとつ検証していきました。


安田好弘弁護士

以前のブログに書いた部分もありますので、印象に残ったところを書いていきます。

[以前のブログ]

まずはこの事件に対する検察のストーリーです。

被告は事件当日の朝(99年4月)仕事(水道設備会社)に行くフリをして友達の家に行く。昼までゲームをするが、友達が出かける(被告の職場のそばにあるおもちゃ屋だったため、被告は一緒に行けなかった)ため被告は自宅へ戻った。

自宅には義母がおり、義母には「自宅の近くの工事に来た」と言って一緒に昼食をとる。しかし「早く仕事に行かないと」と義母に促され、13時40分頃家を出る。友人とは15時にゲームセンターで待ち合わせていた。

家を出てから3分ほどのところにある、自転車置き場に行く間に性的欲求が高まったので、強姦をしようと決意した。仕事のフリをして一戸づつ10棟からまわって美人の奥さんがいたら強姦しよう。

そして第7棟で被害者と会った。

トイレに入ったところでトイレマジックリンが目に入ったのでこれで目潰しをして強姦しようと思いついた。

そして奥さんの目にトイレマジックリンをかけ、馬乗りになって首をしめた。親指を立て両手で全体重をかけて力いっぱいしめたが死ななかったので、今度は両手を重ねてしめて死に至らしめた。

「生き返られては困る」のでガムテープを手、口、鼻に張り、姦淫する。

子どもが泣き止まないので、風呂桶に入れてフタをしめる。しかしまだ泣き止まない。今度は天袋に入れるが泣き止まない。そこで被告は激高し、子どもを自分の頭上に持ち上げて(後頭部が床に行くように)床に叩きつける。

それでも子どもは母親の方に這って行こうとするので両手で首を絞めて殺そうとするが、細すぎて殺せない。

そこで子どもの首に紐を2重に巻き思いっきり引っ張って絞殺した。

子どもの遺体を天袋に隠し、奥さんの遺体を押入れに隠してペンチ、トイレマジックリン、財布を持って家を出た。


まず安田弁護士は最初に接見したときに「実は強姦するつもりはなかった。殺すつもりもなかった」と聞き「びっくり仰天した」そうです。

それまで事実関係については争ってなかったからですね。

そこで弁論期日の延期を申し出たのだけども全く聞き入れられなかったということだそうです。

さて、弁護士が代わってから少年が「1審、2審と違うことを言うようになった」ので「弁護士が新たなストーリーを捏造している」という批判に対して弁護団は「捜査段階、地裁段階で供述していたことが無視されてきた」と言います。

例えば「計画性の否定」では地裁段階ではアパートを戸別訪問したことについて「人と話がしたい、時間つぶしがしたい」と思っていて強姦の相手を物色するためではなかったと話しています。

また部屋に上がったことについても「予想外だった」

「殺意」についても「声を出さないで欲しいと思っているうちに頭が真っ白になった」

子供についても「殺そうとは思っていなかった。慰めようとしてあやしていた」と地裁段階ではいずれも話しています。

そして地裁判決では「被告人の供述は一部信用できない」とされているそうです。つまり、最初から検察のストーリーを全面的に認めていたわけではないということです。

現段階で弁護団側が主張していることは、実は地裁段階で少年が話していたことを、もう一度検証しなおして主張していると言うことだそうです。

そして検察のストーリーですが、「捏造されている」というのが弁護団の主張です。

まず「親指を立てて全体重をかけて首をしめた」跡がない。「両手を重ねて首を絞めた」跡もない。

子どもを「頭上からたたきつけた」跡もない。
「両手で首を絞めた」跡もない。「紐で強く締めた」跡もない。

「強姦しようとして部屋で争ったため部屋が大きく乱れたという」跡もない

「強姦されることに抵抗して被害者が引っかいたりした」跡もない。

「スプレーを顔に噴射した」跡もない。

では弁護団はどう考えているのか?というと

「甘えたいと思って被害者に抱きついたところ、思わぬ抵抗にあってしまった。黙って欲しいと、逆手で首を抑えているうちに殺してしまった。また起きて騒がれると嫌なのでガムテープで口や鼻をふさいだ」という少年の供述が合理的なのではないかと。

子どもに関しては、やはり少年が言うように「あやそうとして、ちょうちょ結びをした」のだけども、「これによって首がむくみ、それによって頸部がしまって亡くなった」(法医学的な所見)のではないかということです。

また家を出てから自転車置き場に着くまでの間に「強姦を計画した」ということも真実とは違うのでは?と疑問を投げかけます。

セックスの経験もない男が部屋を出てムラムラっときて

「今日はなんとしても強姦してやろう」と思い立ち、その方法について「社宅を1戸づつ仕事のフリをして廻っていこう。そして美人の奥さんがいたら強姦しよう。制服を着ているから怪しまれないはずだ。自転車のカゴにはガムテープがあったからあれで抵抗されないように縛ろう。カッターナイフも持っているからこれで脅かせば大丈夫だ」

とスラスラ考え、実行に移すということを果たして18歳の童貞男が家を出てから3分以下でできるか?ということです。

「3時まで時間あるなぁ。どうしようかなぁ。時間つぶしに社宅回ってみよう」と考えるくらいが自然なんじゃないの?ということです。

死姦に関しては彼は「セックスをしたら生き返ると考えていた」そうですが、これは僕の常識の外にあります。

もちろんだからと言って少年が二人を殺害したことは事実は変わりありません。自分の身内が同じ目に合えば当然、極刑をのぞむでしょう。


でも、僕はもし警察・検察が勝手に凶悪犯を作り上げていっているのであれば、そこにも強い怒りを覚えます

人一人を極刑にしようか、という裁判ですので、きちんと事実を明らかにした上での判断を望みます。

「**という証拠からも明らかなように弁護側の言っていることは信用できない」という判断でもその判断が合理的であればいいと思います。

また「事実は弁護側が言ってる通りかもしれないが、それでも死刑」というのなら、それはそれで一つの判断だとは思います。(ただし、今までの判断基準を大きく変えることになるとは思いますが…)




※さて、このブログに関する感情的な反論、悪意が底に流れる質問などは求めていませんので、ご遠慮願います。








posted by iwajilow | 06:37 | 光市事件について | comments(3) | trackbacks(0) |
弁護側の言い分を聞く〜光市母子殺害事件控訴審
現在、差し戻し審が行われている光市母子殺害事件。

今回、この事件の主任弁護士である安田好弘弁護士に話を聞く機会がありました。気になったところをいくつか書くことにします。

この母子を殺害した少年は前代未聞の凶悪犯とされています。少年は強姦目的で押し入り、抵抗されると奥さんを殺害、その後死姦し、さらに11ヶ月の子供まで殺害した、という事件です。強姦目的かどうかというところは争いがあるところですが、二人を殺害したこと死姦したことは争いのない事実です。

けれども、検察側の主張で「それ、作ってない?」と疑問のわくところがいくつかありました。

まず奥さんを殺害した状況について、検察はこういっています。

「被告人は背後から被害者に抱きつき、被害者に騒がれるやスプレー式洗浄剤を顔面に拭きつけた上仰向けに引き倒し、馬乗りになって被害者ののど仏部分を両手親指で指先が真っ白になって食い込むまで強く押さえつけたが、被害者が死に至るどころか、より激しく抵抗したことから、今度はより確実に被害者を殺害しようと考え、両手で被害者の頸部をつかみ自己の全体重をかけながら頸部を圧迫して絞め続けたところ、被害者が動かなくなり、その両手が床の上に落ち、まったく無抵抗の状態になったにもかかわらず、被告人は被害者を確実に死に至らしめるためなおも頸部を絞め続けて殺害した」

めちゃめちゃ悪文です。

つまり、スプレーをかけ、倒して馬乗りになってのど仏を両手で押さえつけ
さらに、全体重をかけ絞め殺した、ということです。

この中で触れられていないことがひとつあります。それはガムテープで口が封じられ両手が縛られていたことです。

これは亡くなったあと、されているんですね。つまり、被告人は気絶しただけと思っていた可能性が高いのですね。

さらに「スプレーをかけた」とされていますが、噴射液の痕跡はまったく見つかっていません。
ちなみに顔面に噴射された洗浄剤というのは蒸発して消失することはなく、時間とともに粘稠度を増し最後にはゲル状になって固まるそうです。

さらに「両手の親指がのど仏に食い込むほど強く押さえつけた」とされていますが、遺体には親指の痕はなく、表皮剥脱も皮下出血も一切存在していないそうです。また全体重をかけた場合、甲状軟骨の骨折、舌骨の骨折などもあるそうですが、その痕跡も一切ないそうです。

ではどうやって殺害したのか?

遺体の首には何本かの蒼白帯がついています。これは指で腕などを圧迫したときに白く残る痕です。通常は時間がたてば元に戻りますが、亡くなっていれば血圧もなくなるのでそのまま残るそうです。

法医学者の鑑定によれば、右の逆手で首を抑えたというのが合理的だといいます。

つまり馬乗りで締め上げたわけではなく、被告人の「抵抗する被害者の右手を左手で抑えながら右手の逆手で首を押していたらぐったりしてしまった」という証言が合理的だと思えるのです。

さらに11ヶ月の赤ちゃん殺害に関して検察側は
「泣き止まない被害児に激昂して同児の殺害を決意し、同児を頭上から頭部を下にして床に思い切りたたきつけ、両手で同児の首を絞め、遂には持参した紐を同児の頸部に2重に巻きつけ、その両端を力いっぱい引っ張って絞殺」
としています。

11ヶ月の子供を頭上の高さから床に思いっきりたたきつけていたら、子供の頭には打撲傷、皮下出血、あるいは頭蓋骨骨折、頚椎損傷などの大きな痕があるはずだけれども、こういった損傷はないそうです。

左側頭前部・中部・後頭部に各1個の皮下出血があるそうですが、鑑定によれば「強い外圧によって生じたとするには困難がある。むしろ比較的経度の打撲などによって生じたとするのが妥当である」となっています。

最高裁はこういった遺体に残された痕跡を指摘されると、「その指摘は他の動かし難い証拠との整合性を無視したもので失当であり」としています。

遺体に残された痕跡は動かし難い証拠ではないという判断なのですが、どうしてそうなのか、きちんと聞いてみたいものです。けれども他の動かし難い証拠というのがなんなのかは具体的に指摘していません。さすが最高裁です。


そのほか、反響を呼んだ友人にあてたという「手紙」ですが、
あの「手紙」は検察側から出てきたものです。この事件の事実関係とは関係がなく、世論誘導のために出てきた(植草事件によるエロビデオの存在のように)ような気がしてなりません。

しかも、あの手紙は友人にあてたものではなく、隣の房にいた人からきた手紙への返事だそうです。(安田弁護士は「挑発に乗せられた」と表現しています)

少なくともあの手紙を判断するには、どういう内容の手紙に対する返事だったのか、気になるところです。まぁそういった手紙を公開するのに本人の許可を得なくていいのか?殺人犯だからいいのか?通信の秘密っていうのは守られるものじゃないのか?っていう疑問ももちろんあるのですが…。

今回の事件にはいろいろな考え方があるとは思いますが、少なくとも検察側から出てきた情報だけで判断するのはいかがなものかと思いました。


弁護側資料




posted by iwajilow | 11:38 | 光市事件について | comments(2) | trackbacks(0) |
山口母子殺害事件と日本の法
以前にもブログに書いたので、やはり今日のニュースは気になっていました。

お昼過ぎに最高裁の前を通りかかったのでちょっと寄ってみたら
ぼちぼち報道陣が集まり始めていました。


今日昼過ぎ 千代田区隼人町 最高裁前

おそらく、差し戻しということは
高裁では死刑判決でしょうねー。

もちろん僕が被害者と同じ立場だったら
同じような気持ちになるとは思うのですが…。

でも、被告が死刑になれば本当にそれで満足して晴れ晴れした気持ちになるのかな?

確かに、今の日本の法律では死刑の下が無期で、
無期の場合は何年かすると仮出所して日常生活を送ってしまうわけですね。

自分の家族が殺されて自分は十字架を背負って生きていかなければ成らないのに、殺害した犯人はのうのうと暮らしている。。
なんて考えたくもないです。

でも、だからといって復讐のごとく合法的に
相手を殺していいものなのかとも思います。

それで自分は清清しい気持ちになるのだろうか…。

本当に最高裁の判断は世論に流されることなく公平な、合理的な視点で
行われたのだろうか?

無期(で仮出所)OR死刑ってどうも選択肢がなさ過ぎるような気がしてきました。

前のブログに「日本は法治国家なのだから…」と書きましたが、
なんか「法治国家」がどうもなじまない。

ちょっとずれますが、村上ファンドだって村上氏個人のインサイダー取引なら「300万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役」ってあんな何百億円も儲けていたら屁のカッパですよね。

今回だって「法で裁いたからいいのか?」ってどっちに転んでもきっと思ってしまう。

昔の日本だったら、「大岡裁き」のような誰もが納得できる
裁きもあったのではないかという気もします。


なんてことを考えていたら
小室直樹氏の「日本国民に告ぐ」という本(ワック出版)に書かれていたことを思い出しました。


小室直樹著/日本国民に告ぐ

ちょっと引用してみます。

〜引用開始〜
第3章 はたして、日本は近代国家なのか

なぜ日本の法律は国民の役に立たないのか

日本は明治22年から31年までの時期に、次々と法典を作った(憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の6大法典)。
 明治政府は、主としてドイツとフランスの法典を模倣して、6つの基礎法典を作った(川島武宜著『日本人の法意識』岩波新書)。これらの六つの基礎法典は、「従来の伝統から全く断絶した内容のものを外国−主としてフランスとドイツ−から学んで」(同上)作ったものであった。
 明治政府が、かくほどの言語道断な法律を作った理由は何か。
「日本が列強に対し承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを列強に承認させるための政治上の手段であった(同上)
 法典編纂が、日本国民の生活のためではなく、政治上の手段であった!

〜中略〜

 制定する法律は、ドイツ、フランス、イギリスはじめ資本主義先進国が納得するものでありさえすればよい。これなら資本主義に成れて、裁判を任せても大丈夫であると列強に思わせたらそれで充分だ。日本人の生活のために、役に立とうが立つまいが、いっこうにおかまいなし。こういうことであった。

〜中略〜
 国民生活と無関係な法律を作ってしまった後遺症は、今も疼いているだはないか。明治、大正、昭和の昔は言わずもがな。それが何より証拠には、日本は現在でさえ、「法律的」というと非現実的だということの代名詞になっているではないか。裁判は日常生活のためにはあまり役に立っていないし、紛争解決のためには、今でも、場合によっては法律よりもヤクザのほうが役に立つといわれているほどではないか。

〜引用終わり〜

無条件で明治以前の昔がいいとは思わないけど、
どうも日本の風土や感情に法律が馴染んでないような
気がしてなりません。

裁判は難しいでしょうけど、被害者だけでなく、加害者にもきちんと目配せをした公平な判断を期待します。



posted by iwajilow | 22:18 | 光市事件について | comments(0) | trackbacks(0) |
山口母子殺害事件の被告側弁護士
東京新聞に安田好弘弁護士についての記事が載っていた。

「犯人は死刑にすべき」と最高裁で争われ物議をかもしている
山口母子殺害事件の被告側の弁護士ですだ。

この記事を読んで、この記事を書いた東京新聞と安田弁護士に敬意を表さずにはいられませんでした。

山口の殺害事件は確かにひどい事件だけど、やっぱり報道は一方的ですだね。
そもそも、被告が知人に送ったとされる手紙がとんでもない内容だったというのが、「犯人を極刑に!」という流れを作ったと思いますが、あの手紙だけで少年の命を奪う権利が僕らにあるものかどうか…。

実際、事実はどうだったのって、感情的にならず理性的に検証する必要はあると思う。(警察の発表を鵜呑みにするのではなくね、警察の発表がどれほど恣意的でいい加減かなんて、何度も経験しているし…)

なんて、ちょっとでも世間の流れと違うことを言うと袋叩きにあうような言論ファッショはものすごくあるのだけど、その中で報道する東京新聞の勇気と、あえて茨の道を行く安田弁護士の生き様はすごいですだ。

口あたりのいいことだけを書いたり、言ったりして自己満足するよりも、それって本当はどうなの?って疑問を持って追いかけて、違うんじゃない?って発言する方がよほど勇気がいる。

世論が100%どっちかの方向に行ってしまって、それ以外の言論は認めないっていう今の風潮が僕はものすごく怖い。

現に安田弁護士に対する的外れとも思える批判はネットで検索してみれば星の数ほど出てくる。

もちろん僕が遺族だったら、極刑を望むと思う。でもそれが通っちゃたら法治国家ではなく、人治国家だな。

声の小さい人の声を届けるってメディアの大切な役割だよなーって思うし、バランス感覚も大事だよなーっと改めて感じました。
posted by iwajilow | 23:51 | 光市事件について | comments(15) | trackbacks(0) |