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TVディレクターがメディアでは伝えられないニュースの裏側を日々レポート。
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大阪の思ひ出


とっても衝撃だったんですけど、大阪の友人には「普通やん」と一蹴されてしまいました。

でも地下街を歩いていて、牛丼の匂いがしてきて、その先にあったこの風景はかなりショックだったんだけどなぁ。。。



ダメかなぁ、ドアのない吉野家。初めて見たんだけど。。。
posted by iwajilow | 21:49 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(2) | trackbacks(0) |
日本兵4500人が死んだ島へ〜フィリピン紀行その7
いよいよフィリピン紀行も最終回になりました。
最終日はコレヒドール島へ向かいました。
この間、教育基本法の改定、防衛省昇格など色々ありましたが、
第2次世界大戦中にあったことに思いをめぐらせて見るの一興ではないでしょうか。。。

12月9日 20時30分
日本兵4500人が死んだ島へ

いよいよ最終日を迎えてしまった。今日は朝4時半に起きて再びケソンへ。ストリートチルドレンたちが寝ている姿をとろうと思って出かけました。が、しかし、起きてるんだよなー、いつ寝るんだ?まぁ僕が着いたときにベイビージェーンは起きてたのだけど、姿を確認すると崩れるようにダンボールの上で寝だしたから撮影できたけど…。


朝5時ダンボールで眠るベイビー・ジェイン

その後7時に港へ向かい、予約していたコレヒドール島へ向かいました。最後まで行くかどうか迷ったのだけど、少し違う視点からもフィリピンを見たほうがいいかなと思って行きました。1700ペソ以上もするお金持ちのツアーで、ずーっとバスで団体行動するツアーでこんな観光ってきっと海外で初めてでした。
コレヒドールは戦跡を巡るツアーだけで成り立っているような島で、生活の匂いは全くありませんでした。こんなことならトンドのあたりをウロウロしていたほうが100倍面白かったかもしれない、と思ったのだけど、これだってフィリピンなんですよね。
昼飯はバイキングだし、バンド演奏があってチップを強要されるし、ビール100ペソもするし、対していいことなかったのだけど、戦跡に「吉田部隊」って残っていたのを見たときは切なかったなぁ。阿呆な大本営のおかげさまで、祖国から遠く離れたフィリピンで亡くなっていった人たちを思うとかなり切なくなりました。この島は第2次世界大戦中4500人の日本兵が死に生き残ったのはわずか42名だったとガイドが言っておりました。


コレヒドール島


今も残る戦跡


吉田部隊と書かれている


I shall return

甘い見通しで国家的な事業を大失敗に追い込むなんてところは今の日本の状況と全く変わらない。甘い見通しの公共事業はもちろんのこと年金だって破綻するの目に見えているのに国民を騙し続ける日本という国はなんなのだろう?島を巡っているとどんどん怒りが沸いてきました。

さて戻ってから再びケソンへ。そこで彼らがサンパギータ(ジャスミンで作ったレイ)を作っているところを撮影し、少し話して帰ってきました。差し入れにパンを持っていったら、「チーズが欲しい」と、だんだん図々しくなってきた。ま、今日で最後だし、世話になったし、楽しませてもらったし、この子たちには援助の手なんて差し伸べられないんだから、いいやっと思って一緒にスーパーへ。ほんとスーパーに行くと楽しそうにかごに放り込むよなー。結局1000ペソも使ってしまいました。
でもね、いい旅ができました。いやなことは一つもなく、無事に終わりそうです。また来
られるといいなぁ。


サンパギータのレイを作るストリートチルドレンたち


サンパギータ(ジャスミン)のレイ ひとつ20ペソ(40円)


今日の精算
タクシー 500ペソ
朝ごはん 60ペソ
チップ 100ペソ
ビール 100ペソ
タクシー 500ペソ
パン 150ペソ
パンナギータ 100ペソ
差し入れ 950ペソ
タクシー 200ペソ
夕食 85ペソ
やきとり 15ペソ
お土産 1600ペソ
posted by iwajilow | 00:36 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(0) |
14歳の花売り少女…フィリピン紀行その6
12月8日 21時30分
14歳の花売り少女…ベイビー・ジェーンの物語

今日は朝からケソンシティーのストリートチルドレン、ベイビィ・ジェィンのところに行っていました。


顔を洗うベイビー・ジェーンと仲間達

朝、9時半ごろにケソンに到着、彼らと合流して、1週間に1度しか戻らないという彼らの家に連れて行ってもらいました。ジムニーを乗り継ぐこと2回、1時間半ほどかけて彼らの家に着きました。電気も来てない、2階建ての家です。といっても1階に一部屋、2回に1部屋あるだけの相当狭い家です。この家で最大10人が寝泊りするんですね。しかも2階は歩いただけで、そこが抜けそうでした。もちろん窓にガラスなんかない、水道だって来てない、そんな家でした。


ベイビー・ジェーンの家 家に着くと井戸水ですぐ洗濯を始めた


家の中は真っ暗だった


ベイビー・ジェーンの母 44歳


お父さんは2000年に心臓発作で亡くなって以来、兄弟はケソンへ出稼ぎ(?)に出ているといいます。「お父さんの写真ある?」と聞くと出てきたのは遺体の写真でした。それしかないそうです。


お父さんの遺体写真を見るベイビー・ジェイン

2002年に一番上の兄貴は強盗で捕まって今刑務所に入っているそうです。そして弟のうち一人はNGO団体げ運営するセンターにいるそうです。
ストリートチルドレンの中でもこのベイビー・ジェィンと兄貴のアルベルトは、とても奥ゆかしくて礼儀正しくて僕は好感を持っていたのですが、這い上がれないよなー、いい子たちなんだけどなー。
お礼にクリスマスプレゼントを買おうと、一緒にスーパーに行きました。GパンとTシャツを二人に買ったのですが、ベイビー・ジェインは「これ2枚で160ペソなんだけど…」と恐る恐る出してきました。いいよ、いいよ2枚買いなよ。
そんなこんなで彼らに1000ペソ分の服をプレゼントしました。
そして、家族には食料を600ペソ分。
その後、ハンセン病の病院で少し撮影をさせてもらい、再びケソンへ。そこでは彼らが物を売っているところを少し撮影させてもらいました。
彼らのこの生活はずっと続くのかな。切ないね。
さてさて、明日も早いのでもう寝ます。


サンパギータを売るベイビー・ジェーン


兄貴と二人で…兄はタバコを売る


ベイビー・ジェインの兄貴と彼女…彼女は妊娠9ヶ月、もちろん二人は籍など入れてない

今日の精算
タクシー代 140ペソ
ジムニー 88ペソ(4人分)
昼飯 600ペソ(4人分)
お土産 1050ペソ
食料 600ペソ
取材謝礼(ハンセン病)300ペソ
タクシー代 550ペソ
タクシー代 160ペソ
夕飯 350ペソ
インターネットカフェ 25ペソ
パン 50ペソ
トゥクトゥク 15ペソ
コーヒー代 52ペソ
posted by iwajilow | 08:58 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(1) |
フィリピンマッサージと女子矯正施設〜フィリピン紀行その5
12月7日 22時00分
フィリピンマッサージを呼ぶ&女子矯正施設へ行く

とにかくバテバテで…

昨日はあれからマッサージを呼びました。これがまた下手なのなんのって、さすっているだけなんですだ。そもそも最初から「オイルマッサージにする?」と言い出すところが怪しい。オイルマッサージっつうのは性感マッサージでしょうが!ワヒは疲れているんじゃって。きっぱりと断ったのですが、30分もすると「暑い、暑い」と言い出しました。どうぞ勝手にエアコンつけてくださいって、この手は以前パンチ佐藤さんとタイにロケに行ったときに聞いていたので、僕はひっかかりません。(パンチさんの場合は「暑い、暑い」と言って脱ぎだしたそうです)。無事1時間が終了すると「チンチンは?」と指差します。いらんって。なんともホテルのマッサージと言っても信用ならんです。何度も言うがワヒは普通に疲れているんだって。あとでコーディネイターの人に聞くとマニラはマッサージはうまくないよって言っていました。だいたいみんなインチキだそうです。ふーん…。
さて今日はなんとか少年たちの更生施設を見せてもらおうと、DWTというそういう施設を仕切っている役所に行ってきました。待つこと3時間、そうい更生施設を仕切っている偉いお役人さんとようやく面会することができました。

なんでも女の子の更生施設で顔は写しちゃダメだけど、話は聞かせてくれるとか…。どこまで実現するかわからないけど、もし撮れたらすごいなぁと思って早速出かけました。で、バスを乗り継ぎそこから2時間、ようやくマニラ郊外の女子少年院(?)に到着しました。


女子矯正院〜200名くらいの18歳以下の女の子が収容されている

が、しかしやはり話は通ってなく、中を見せてもらうことはできたのだけど、女の子たちに話は聞けませんでした。まぁそんなもんです。がっくし。
気を取り直して、次へ。


レイプなどで生まれてきた子どもたちのベッド…母親は14歳から16歳だという


写真に納得していなかったので、再びケソンのストリートチルドレンたちのところへ。すっかり彼らとは顔見知りです、なので行くとポーズをとられてしまい、ぜーんぶ記念写真になってしまうのですだ。今日こそはナチュラルな感じの写真を撮るぞーと思っていたのですが、やはりダメでした。しかし、ベイビージェーンがうちに招待してくれるとか。明日にならないとほんとかどうかわからないけど、一応行ければこれまたすごいので、明日は朝からケソンへ向かいます。


すぐに集まってくるのだ


ベイビージェーンにスーパーで食べ物を買おうって誘ったら化粧品やらシャンプーばかり見ていた

しかし今日は移動でかなり疲れてしまいました。さらに虫に刺された後ですが、これはブヨブヨという虫だそうで、痒みはかなり残るそうです。言われなくても残っていますが…。さらに今日数えたところなんと38箇所も刺されていました。眠れないはずです。


蚋に刺された後…足の裏まで刺されていた

今日の精算
 マッサージ 650ペソ
 タクシー 1450ペソ
 バス 100ペソ
 トゥクトゥク 130ペソ
 ジプニー 20ペソ
 昼ごはん 166ペソ
 晩御飯 260ペソ
 おみやげ 780ペソ
 明日の朝ごはん 80ペソ
ガイド料 1万円


晩ご飯は隣の韓国料理屋兼和食屋でガツ炒め&ビールでした
posted by iwajilow | 23:04 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(0) |
ストリートチルドレンとドライバーのオーウェン君〜フィリピン紀行その4
12月6日 21時30分
ストリートチルドレンとドライバーオーウェン君の独り言

もう旅も半分終わってしまった。早いなぁ。
今日はクリオンからマニラへの移動でした。朝5時に起きて5時30分に出る算段だったのだけど、なぜか夜、ものすごいかの来襲を受けさらにカラオケがうるさくて全然眠れませんでした。ほんと、痒いしうるさいし、たまりません。うとうとしては起きるの繰り返しで気が付いたら5時前だったのでそのまま起きることにしました。が、夜は電気が来ないようで真っ暗中で準備をしました。忘れ物がありませんように…。
5時15分に迎えに来てくれて、荷物まで運んでくださるというVIP待遇。まぁドクターも一緒にマニラに行くのですが(別件の用事があるらしい)そのボート代や車代も僕持ちなので勘弁してもらいましょう。
で、夜が明けて気が付くと足が大変なことになっていました。10箇所以上は刺されておりました。これは痒いはずですだ。見たらますます痒くなってきました。
さて、空港に着くとオーウェン君が待っていてくれました。彼とまずはマネーチェンジ&フラッシュカードを買いにいったのですが、フラッシュカードはなんと4000ペソ!しかも500MBしか置いてないのですだ。日本のほうが安いっていうのは真実なのだな、と感心してしまいました。しかし買わないわけにはいかないので、泣く泣くカードで買いました。あー、高くついた。。。
ホテルまで送ってもらい、面倒なのでお昼ご飯はコンビニで買ったインスタントラーメン。しかしこれが結構いけた。新宿ラーメンよりもおいしかったかもしれない。


コンビニで買ったインスタントラーメン。クラッカーが付いているのだよ。

その後洗濯をして、少し町まで散歩に出かけました。せっかくなので電車に乗ってみようと、チャレンジしてみました。切符の自動販売機のような気の利いたものがないのでものすごく混んでます。さらに降りる人を待ってから乗るという習慣がないので、電車の乗り降りはかなり気合を入れないと降りることも乗ることもできません。いや、乗るのは流れに乗ってしまえば割と乗れるのですが、降りるのは大変。降りようとすると押し返されます。朝夕のラッシュでこれをやっているとすると、かなり消耗するなぁ。僕はわずか3時間くらいの散歩でかなり疲れ果てました。
夕方再びオーウェン君に迎えに来てもらい、ケソンのストリートチルドレンに再び会いに行きます。

道中、問わず語りにオーウェン君がフィリピンの現状を話してくれました。彼は結婚していてすでに子供が二人いるそうで、もともとはミンダナオの農園で働いていたそうです。けれども、子供がいるとその教育費まではとても出せないので、マニラに来てタクシードライバーになったそうです。今はケソンに住んでいて家賃は5000ペソ、光熱費などを入れると1万ペソになるそうです。彼の給料は歩合なのですが、もっとも悪いときで1日600ペソだといっておりました。フィリピンはここ20年くらいずっと景気が悪く、さらにどんどん治安も悪くなってきたといっておりました。昔はテロリストや政治的な目的での犯罪はあったけど今は普通に強盗や車上狙いがあるそうです。意外にもマルコス大統領のときが一番良かったと言ってました。


ドライバーのオーウェン君はミンダナオ島出身。工場に勤めているときに当時まだ学生だった妻と知り合ったそうだ。子ども二人とと妻と4人暮らし

僕ら外国人はアキノ大統領がマルコスに勝った選挙を強烈に覚えていて、あれこそが『革命』と思っていたのですが、もしかするとそれは外国人が外から勝手に思っていただけなのかもしれないですね。イメルダ婦人の1000足の靴や、アキノ大統領は演説をタガログ語でしたのでそれが民衆の心に訴えたのだ、なんて思っていました。それもこれもアメリカの策略をマンマ信じてしまったのでしょうか?

彼は「上流階級と僕たちの間には明確な線があり僕らは決して向こう側にはいけない。フィリピンにドリームがないことはわかっているんだ。だけど、ちょっとでもいい暮らし、ちょっとでも子供たちにいい教育を受けさせようと思って日々がんばっているんだ。それが報われる社会であってほしいんだ」と言います。そして「今のフィリピンにはそういった希望さえもない、いつ仕事がなくなるかもわからない」と言います。
そして外国人は「フィリピンの女はみんな売春婦だと思っている」と「うちの母親も僕の女房も僕の娘も売春婦だと思っている」と怒っていました。
そうだよなぁ…、ほんと、経済格差を利用して…、よくないよ。

さて、そんなこんなで再びケソンのストリートチルドレンたちのもとへ。彼らは僕を覚えてくれたけど、カメラが珍しいのかものすごく、はしゃがれてしまい、またしても自然な写真がほとんど撮れませんでしたー。さらに暗いのもあったのだけど、僕もISOを上げるのを忘れてボケボケ写真だらけになってしまいました。


路上にたむろするケソンのストリートチルドレン


路上で赤子を育てる

いろいろと話を聞いていてわかったのだけど、彼らは別にみんな家なき子なわけじゃないんですね。路上で寝ているのはディーンたちの兄弟とほんの少しくらい。ただ夜遊びがしたかっただけなのかなぁと思っていたのですが、
実情は一人っ子であれ家が近くであれ、とても住めた状況じゃないくらいの貧困家庭だそうです。日本の少しひねた不良少年を想像していたのは大きな間違いだったらしいです。
といいつつ、すでにシンナー臭かった。。。

船代 2800ペソ
タクシー代(島)1200ペソ
エクストラチャージ 120ペソ
コーヒー代 40ペソ
タクシー代 500ペソ
インターネットカフェ 60ペソ
水 40ペソ
石鹸 27ペソ
洗剤 9ペソ
パン 18ペソ(子供たちに取られた)
インスタントラーメン 38ペソ
電車賃 46ペソ
味噌ラーメン 236ペソ
コンパクトフラッシュ 4200ペソ
ホテル代(4泊&デポジット)8500ペソ


この日の宿〜シタデルイン・マカティ


晩ご飯を食べた根岸レストラン。ガイドブックには「格安日本食」と書いてあったけどそうかなぁ?


味噌ラーメン236ペソ。そこそこちゃんとしてました。
posted by iwajilow | 23:18 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(0) |
ハンセン病患者達が隔離された島にて〜フィリピン紀行その3
この日は丸1日ハンセン病患者が隔離されていたクリオン島で過ごしました。
そして色々な方から話を聞くことができました。すべて聞き取りなので、これがそのまま事実かどうか首をかしげてしまうところもあったのですが、少なくとも彼らの記憶の中ではそれが事実となっていると思うのでそのまま書きました。どうぞご了承ください。

12月5日 18時40分
ハンセン病患者達が隔離された島にて

今日は一日クリオン島を巡りました。午前中に2人に話を聞いて、午後は5人に話を聞きました。
午前中話を聞いた人は学校の先生をしていた人。彼は10歳のときにこの島にやってきて両親とともにこの島に住んだということです。現在は退職し、子供は7人、孫も9人いるそうです。普通なんですけど、日本のハンセン病患者からすれば大変うらやましい状況ということがハンセン病の根深いところだと思います。
ただそんな彼もバスケットをやろうと思ったら、バクテリアが移るといわれ参加できなかったり、先生になったときに他の人は500ペソの給料だったのに彼はフォローがいるからと150ペソしかもらえなかったりということがあったそうです。


タボラ・ロザリオさん

もう一人の方も先生をしていた人でした。彼がここに来たときはまだゲートがあり、患者とそうでない人の居住区が分けられていたそうです。それが差別でなくてなんなんだと怒っていました。もっともです。


ヒラリオン・ガイアさん


かつてはこのゲートを隔てて向こう側がハンセン病患者、こちら側がハンセン病患者以外の住む地区だったそうだ。

午後には二人ばかりの人に戦中のことを聞いたのですが、日本兵に対する印象は良かったようです。この島では戦闘はなく日本兵は患者に食料を与えていたといってました。それでもその時期1万5千人以上が住むこの島で、3500人以上の患者がなくなったといってました。薬の補給路が断たれていて薬がなかったことと、飢えが大きな原因なようです。その時期はわなを仕掛けてサルを捕って食べたり蛇も捕まえて食べたといっていました。
その後、この島で家庭を作っている人に話しを聞くことができました。イシさんは8日のお祭りの準備で屋台をみんなと作っていました。彼は18年前からこの島で奥さん(籍は入れていない)と暮らしているそうです。豚を飼ったり鶏を飼ったり、小さなお店を経営したりしています。お店の収入は1日200ペソほどだといってました。政府からの月1500ペソほどの補助があるのでやっていけるそうです。奥さんもハンセン病でした。二人は島の外の別の療養所で知り合い、一緒に暮らすようになったそうです。その療養所は外との接触を断っているようなところなので、こっちのほうが全然いいと言ってました。今の奥さんは結婚していたそうですが、奥さんがハンセン病とわかってから療養所に連れていかれ以来、全く連絡はないそうです。イシさんも兄弟からは全く連絡がないといっていました。


イシドロ・ドゥラガオさん(44)


奥さんのメリーさん(44)と…鶏も飼っている

マルセリノさんは60歳、今は奥さんと暮らしていますが、子供が4人いるそうです。奥さんはハンセン病ではありません。大工仕事をしたりバナナやパイナップルを作って暮らしているそうです。ハンセン病の人がハンセン病でない人と結婚して子供まで作るなんて日本では考えられないです。


マルセリノ・パガドゥアンさん(60)と奥さんのアテさん


奥さんが農場を案内してくれた

ロザリナさんは80歳。おじいさんがハンセン病だったのでここで生まれたそうです。現在は夫と37歳の子供と(43歳のときの子供!)と3人で暮らしています。もう目も見えなく、歩くこともできません。が、しかし結婚は2回目、さらに現在の夫は20歳も年下だそうです。彼がほとんど日常生活の面倒を見ているようです。若い頃は裁縫の仕事をしていたといっていました。


真ん中 ロザリナ・バレクさん(80)
右 息子 エウセビオさん(37)
左 夫 スピアノさん(60)


ロザリナさんの家

みなさんこの島にいると差別なんて受けないといっていますが、一歩外に出ると、やはり近づいてこなかったり、遠巻きに見られたり、彼らも隠れるようにして生活をしなければならないといってました。
それでも、この島にいれば差別がないということは、いろいろな差別対してのヒントになるような気がしましただ。

病院の方々の暖かいご協力でいろいろと話を聞くことができました。が、しかし報告するチャンスはあるのだろうか…?
明日はマニラに向かうのだけど、たった2日間でここのご飯に飽きてしまいました。ホテルで出してくれるのだけど、おかずが一品なんだよー。うちで食べるときみたいにちょっとでいいから種類がないと飽きてしまうのだなー。これじゃ酒も進まん。うち飯が恋しいのぅ。


ホテルのごはん〜特大の車えびが5尾も入ったスープ でもおかずはこれだけぢゃ。。


おそらくキンメダイのトマトソース煮

今日使ったお金
水 20ペソ
ホテル(食事込み2日分)2120ペソ
posted by iwajilow | 23:59 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(2) | trackbacks(0) |
ハンセン病の島へ行く〜フィリピン紀行その2
12月4日 クリオン 19時00分
ハンセン病の島へ行く

昨日はかなりばててしまったので、一眠りしてからご飯を食べに行った。近所のレストランは良く知らないしなぁと少し歩いたのだけど、なんと『新宿ラーメン』というレストランを発見したのだ。で、これは入らないわけには行かないと思いチャレンジしました。もちろんチャーシュー麺(290ペソ)。期待でワクワクでしたが、なんともはや、やはりラーメン屋なのに寿司のカウンターがある時点で気が付かねばならなかった。何と言っていいのやら、まずくはないのだけど、確実においしくはない。麺はスナック麺のような感じで、歯ごたえが中途半端にあり、スープは、うーんこれインスタント?って感じです。まぁ海外で多くを求めてはいけないのだけど…。さらに量が少ない。普通の半分くらいだったような気がします。


新宿ラーメン


チャーシューメン300ペソくらい

当然おなかいっぱいにならなかったので、近所の屋台でホットドックを買い(20ペソ)さらにミニストップでチキン(55ペソ)を買いました。合成着色料満載の感じのホットドックはかなり求めていた味で、これでおなかいっぱいになったのだけど、散歩ついででチキンも買ってしまいました。


ホットドック屋


ホットドックは1本20ペソ、屋台では高級品の部類に入るのだ

ご飯を食べたのは夜の7時頃だったのだけど、この時点でホテルの周りは結構女の子がうろちょろ。みなさん「マッサージ」と声をかけてくれます。さらにボーっとしていると、通り過ぎていく女の子が熱視線を送ってくれます。当然、僕のお金が目当てなのだろうけど、日本でそういった待遇にあったことのない僕はかなりドキドキしてしまいます。もてるってすごいなぁ。
まぁ煩悩に身を任せてしまうとお金がいくらあっても大変なので、ホテルへ帰って寝ました。
次の日は朝4時に起きて飛行場へ。旅の目的地の一つであるクリオンへ向かいます。ここはハンセン病患者が隔離されていたという島で、今年で療養所ができてから100年だそうです。
さて島へ向かうのは飛行機は17人乗りの小さなセスナ。どんなところなのだろう思ったのだけど、ものすごいところでした。直接クリオン島へは入れないので、ブスアンガといところから船で向かうのだけど、このブスアンガの飛行場がすごい。飛行場に未舗装のところがあるのです。滑走路はアスファルトなんだけど、途中から土の道になるのです。なんとも牧歌的で感動しました。そこからさらに車で1時間かけ港へ。小さな船で2時間かけてクリオンに向かいます。


17人乗りセスナ、よく揺れます


この船で2時間かけてクリオン島へ


病院のスタッフが温かく迎えに来てくれました。迎え賃一人2000ペソ!

ようやくたどり着いたクリオンですが、想像とまるっきり違っていました。
青い海、そよぐ風はもちろんのこと、子供が多い。子供の笑い声が絶え間なく聞こえてくるのです。フィリピンではハンセン病患者の結婚、出産が認められていなかったのはごく初期ことだけで、その後は隔離はされているものの、結婚も出産も自由だったそうです。なので、この島では両親や祖父母がハンセン病患者という人の子供たちがたくさんいます。ドクターの話では、2万2千人の島の人口のうち8割はハンセン病患者の子孫だといっていました。
今まで、ハンセン病患者の療養所で子供の声なんてほとんど聞いたことなかったのだけど、ここには小学校?(エレメントスクール)が3つ、高校も2つ、カレッジも2つありさらに就学前の子供たちもたくさんいます。
日本に占領されていた数年間は食べるものがなくなり3500人が餓死したというけど、そのほかの時間は日本や韓国に比べると全然マシだったのではと思います。


クリオン島


島の高台から見たクリオン島


学校ではバレーボール大会が行われていました


島の子ども

現在島には100人ほどの患者さんがいるそうですが、そのうち病院にいるのは14人だけ、後は家族と暮らしているそうです。日本の現状を知っている僕にとっては信じられません。
「日本はいまでも子供を作ってはいけないの?」と聞かれたので「今は大丈夫になったはずです」というと「どうしてじゃあ子供を作らないの?」と聞かれたので「みんな年をとりすぎてしまったんです」答えたら納得されました。


ハンセン病の病棟、個室はない


ハーモニカを吹いて歓迎してくれたヴァリディアさん(69歳)

しかし、ドクター自らホテルや車、船の手配をしてくださり、迎えに来てくれて、さっきも明日の予定の打ち合わせに来てくれて、もうお世話になりっぱなしです。
ありがたいことです。
しかし、このリポートを僕はどこかで発表できるのだろうか…。


今回お世話になったクナナン医師・おばあちゃんがハンセン病でこの島で生まれたそうだ。森本レオに少し似ていた。

12月3日
 ビール&チャーシュー麺 515ペソ
 ソーセージ 20ペソ
 コンビニ(ビール、チキン、水)103ペソ

12月4日
 朝食 125ペソ
 水 18ペソ
 車 1200ペソ
 タクシー 400ペソ
 船 2800ペソ
 ガイド 2000ペソ
 空港税 200ペソ
 エクストラチャージ 138ペソ


宿 アプラヤホテル 1泊550ペソ


シャワールームはあったけどシャワーは出なかった


宿の看板娘 マリアンは5歳
posted by iwajilow | 23:53 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(2) | trackbacks(0) |
ゴミ山に住む人々〜フィリピン紀行
旅日記です。あまりにも長いので何回かに分けます。
今回は初日のマニラです。

12月3日 マニラ 16時30分
ゴミ山に住む人々

今日はバテたー。
昨日の夜、22時45分に空港到着、そして荷物が出るのを待つこと30分、さらに両替を待つこと30分、空港を出たのは12時近かった。そこからタクシーでさらに30分、ようやくホテルにチェックイン。で、コンビニに買いもに行きサンドイッチという質素な夜食を買って寝たのが26時頃。そして今朝は7時出発だったので6時に起きて準備。今まで動き回っていて、さらにこの暑さ。さすがにバテました。
さて、ホテルはマカティという繁華街のど真ん中にあり、あたりはバーや深夜営業のレストランなどで相当賑わっておりました。昨日の夜、コンビニに行っただけで、「マッサージ、高くないよ」と4,5人の女の子には声をかけられました。しかし、エイズが怖い僕は全く関心ないのでスルー。でもホテルの中にはいかにもといった感じのフィリッピンの女の子を連れて部屋に上がっていく西洋人の姿が何人も…。未だにみすサイゴンの世界がここにはあるのですね。しっかし、そういった状況を目の当たりにしているフィリピンの男たちにとってはたまらない光景だろうなぁ。。


こういった光景がいたるところで見られる

今朝は朝からごみ山へ。本来は市当局の許可がいるそうなんですが、1000ペソを管理人に手渡すと簡単に許可が出たそうだ。
以前、取材した「夢の島」に似たすっぱい匂い。その匂いに暑さが加わり、さらにぬかるんだごみに足をとられながら奥へ、奥へ。きつい、きつい。鼻が曲がる。


パヤタスが有名だが、これはマニラ港近くのゴミ山


子どもたち

そんな中で、一心不乱にごみをあさる人々。このごみの中からビニールや缶やビンなどを取り出し、売るそうだ。その儲けは1日当たり100ペソ程度。最低賃金は300ペソだそうだから、その1/3程度の収入。でも時々ごみの中から捨てられたアクセサリーなどが出てきて、そういう時は結構な収入になるそうだ。
ごみ山で暮らす人の写真を撮っていたら、その家の中に、2歳の子供の遺体があった。家の人がこの写真を撮ってくれということなので撮ったけど、なんでこの子は死んでしまったのだろう?


子どもの遺体


非常に狭い、スラム街なのだけど、掘っ立て小屋の中にはゲームセンターもあり、子供たちが夢中になって遊んでいた。さらにカラオケを歌っている子供もいた。青空カラオケボックだけどね。


テレビを覗き見している


青空カラオケボックス 

この地域の家賃は月に500ペソほどだそうだ。おじさんがチキンを焼いていたのでチキンの値段を聞いたら1キロ110ペソだといっていた。今日は半キロ買ってきたそうだ。


チキンを焼くおじさん

ごみ山を後にして、今度はストリートチルドレンを撮りにケソンへ。ケソンは割りと高級住宅地だそうだけど、フィリピンの貧困はそういったところにも溢れている。
歩道橋の下に住む子供たちに会った。彼らストリートで花などを売って生計を立てている。1日の収入は40ペソ〜100ペソだそうだ。14歳のベイビージェーンは11人兄弟、父親は死んだそうだ。母親はマニラで花を売っているそうだが、今は18歳の兄と17歳の姉とストリートで暮らしている。学校は小学校5年生まで行っていたそうだが、今はいっていない。
将来はドイツに行きたいと言っていた。ほんの少しだけどドイツ語を知っていた。「ダンケ・シェーン」


ケソンの子どもたち

続いてカロコカンシへ。ここではかつて墓地に住んでいたというストリートチルドレンたちがいる。しかし今は追い出されて、川沿い(といってもどぶ川だけど)に住んでいる。みんなシンナーを吸っている。近所の人の話だと100人くらいのストリートチルドレンが墓の周りで暮らしているそうだ。


墓地の周りに済む子どもたち。シンナーを吸っている。

17歳から18歳という子供たちなんだけど、みんな幼く見える。そしてシンナーくさい。川は下水をそのまま垂れ流しているので、そうとう臭い。この現実から逃避するにはやはりシンナーや麻薬に溺れていくしかないのだろう。シンナーはラクビーという接着剤だそうで誰でもどこでも手に入るそうだ。
シンナーでラリって、訳わからなくなって、12歳くらいで妊娠してしまう子供もいるそうだ。みんな人懐っこくていい子たちに見えるのだけど、すべては貧困のせい?それとも貧困が悪と教える社会のせい?まだ10代の子供たちから将来を奪ってしまっているのはだれなんだろう?
帰り道に再びケルンの子供たちに会ってきた。ケンタッキーでチキンを買って配った。それがいいことなのか、悪いことなのかわからないけど、お金を渡すよりはマシなような気がした。自己満足でしかないのはわかっているけど、せめて今日の飢えをしのげればいいなぁ。

今日の精算…
ガイド料 1万円
クリオン島へのチケット 7800ペソ
コレヒドール島へのチケット 1700ペソ
昼飯代(3人分)850ペソ
タクシー代 2000ペソ
ごみ山 1000ペソ
チキン 1000ペソ
子供たちへのパン 200ペソ

昨日のタクシー代 440ペソ
夜食 60ペソ
ホテル 6000ペソ(デポジット2000ペソ含む)


お昼ごはんの定食 220ペソくらい


とまっていた宿。もったいないくらい立派だった。
posted by iwajilow | 09:29 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(6) | trackbacks(0) |
帰国しました
今日無事帰国しました。
今回はフィリピンへ8泊9日の旅でした。

クリオン島というハンセン病患者が隔離されていた島。
それからストリートチルドレンやマニラ港そばのゴミ山などを
探検してきました。

近いうちに旅日記とリポートをアップします。

ただ僕の海外逃亡中にずーっと追いかけてきていた
品川自民党区議団が政務調査費を返還して記者会見を開いていて
それに参加できなかったのが残念です。

いろいろ聞きたいことあったのになぁ。。

といいつつ明日からすでに熊本出張でございます。
仕事は甘くはないやね。
posted by iwajilow | 17:38 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(0) |
i will go back soon.
thank you for visited.
i will go back soon.

this time i can shoot many pictures.
i don't know that is timely or not.maybe no.
but i think it is importnat & i have to consider about it.
of course i have a lot of another problems, for example
foods,and ... somethig eat...foods..drink...
anyway i have many problems.

see you next time.
posted by iwajilow | 21:53 | いわぢろうの旅日記・フィリピン | comments(0) | trackbacks(0) |